工藤浩司オピニオン 公式ブログ


世界を飛び回る日本人   工藤浩司のオピニオン  
by kudo_koji_blog
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
カテゴリ
《プロフィール&連絡先》
《連絡・相談・質問》

dgdfk247 @ ybb.ne.jp まで。

≪PROFILE≫
工藤 浩司 (くどう こうじ)
1971年青森県十和田市生まれ。

<応援ホームページ>
トータル・ケア・カウンセリング
http://stresscare.exblog.jp/
フォロー中のブログ
検索
ライフログ
以前の記事
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

復讐について

 先日、理不尽な理由から会社を辞めた人間と話をした。なんとかこの気持ちをその会社に晴らしたいという思いで、私のところに話をしにきた。私は彼の気持ちは察しながらも、復讐をすることを辞めるように話をした。

 なぜか。違法だからとか、違法ではないとか、そういう意味ではない。相手に対する復讐などということは、その人の人生にとって、プラスにならないからだ。
では、一緒に悪口を聞いてやればよかったのか、それもしなかった。一緒に悪口を言うのは簡単だが、それでは明日はやって来ない。前進しなければならない、彼や私に、他人の悪口を言っている暇などない。前進していかなければならない。彼も私も含めて。そういう未来を含めて、現在の「忌まわしい過去」を解釈していくべきなのだろう。
 
 今まで働いたことのある会社に、辞めて10年以上もたっているのに、呪いの手紙を送っている人を知っている。事実や誇張、あるいは誤解も含めて、手紙に匿名で送るわけだ。だいたい、そういうことをする人っていうのは目星をつけられていることが多いので、「これはAさんだ」なんてすぐばれてしまう。
その手紙を実際に見せてもらったことがあるが、手書きでわざわざ何時間もかけて書いたのかというほど長いものだった。その人は新しい世界で自立していけないのだろう。前の会社に対してうらみつらみでいっぱいなのだろう。そういう人はかわいそうでもある。未だに、ふるい基準に取り込まれて、抜け切れていないのだから。

 私にはそういうことはできない。それほど暇じゃないというのが正直なところだ。やるべきことが山積みで、その対処で精一杯である。言い換えれば今の世界が充実している。過去など振り返る暇はない。もし、そういう時間が来るとしたら、それこそ私の人生が終わりに近づいているということだろう。

 アイルランドのことわざにこういうのがあるそうです。
「Don't cry. Just revenge. But the best revenge is to live well. 」
(泣くな。復讐しろ。だけど、最高の復讐は最高の生き方をすることだ)と。
 私はこのことわざが大好きだ。最高の復讐は最高の生き方をすることだ、と。まさに、これにつきる。楽しすぎて、過去のことなど構っていられない・・・そういうのが理想だろう。
 誰かに違法なことをされた場合は、徹底的に警察に相談するなりして、裁判して、相手に責任を負わせるべきだ。だが、違法でない限りはそういうことはできない。そういう必要もない。
結局、相手に対する復讐っていうのは自分のプラスにならない。相手を陥れているだけで、自分のプラスにはなっていない。そういうことだ。
 
 人生に時間がありあまっているのであれば、そういうのも意味があるかもしれない。でも、時間というのは限られている。だから、せっかくだから、自分たちの本当にやりたいことをやりたい。それは誰でも同じではないだろうか。
 
 以前、私の友人(40代後半)の人が、会社をクビになったときに、その人は、
「あの会社よりいい会社をつくってやる」と言ったのだが、私は反対した。
「それではまだ相手の土俵に立っているんです。あんな会社なんか無視して、自分が納得できる自分らしい会社をつくればいいじゃないですか?」と言った。
前の会社よりいいとか悪いとか、他人の基準で考えているうちは、昔の意識が、まだ抜けきれていない。その会社に勝ったら、それで終わりなどというのはずいぶん低いゴールとも言える。
 自分が「よし」と思ったらそれでいい。結婚がまさにそのよい例だ。他人が「あんな人と結婚して」と言ったところで、本人たちが幸せであればいい。他人の尺度なんてそんなものだ。逆にいえば、自分が「よし」と思えることが何においても重要だと思う。
 それに本当の復讐っていうのは相手にわからずにやるのが常套手段。誰がやったかわかるような愚かな復讐はやめたほうがいい。
 だからこそ、自分が幸せになるしかない。それが私の推奨する「復讐」だ。
 
 昔、ブルース・リーという中国人の映画俳優が、「無視されるより、嫌われたい」って言っていた。嫌われているうちは、その人に目がいって、注目しているわけだ。だから、そっちのほうがいいということだろう。無視されることほどきついものはない。いてもいなくても同じなのだから。
 だから、「復讐したい」って言って、相手にわかるように復讐しているうちは、相手の思いどおり、「注目してあげている」わけだ。考えてみたら、そんな腹立たしいことはない。相手のしたいことをしてあげているのだから。
 私は彼にこう伝えた。「今の経験はあなたにとって、プラスになりますよ。そう思えるときが必ず近いうちに来ますよ。なかなかめったに経験できるものじゃないです・・・ですが、今後あれ以上悪い経験をしない、と思っただけでも楽しいじゃないですか。最悪を経験しておくと、後の生活が楽でたまりませんよ」と。
[PR]

# by kudo_koji_blog | 2005-05-29 14:48 | 人生

日本の常任理事国入りに反対する

 日本が国連の安全保障理事会(Security Council)の常任理事国になろうとしている。それについて中国や韓国は反対を表明しているが、逆に、フランスやアナン国連事務総長などは賛成していて、各国の対応は様々であると言える。

 日本が国際的地位の確立として、常任理事国入りしたいと考えるのは、特に驚くべきことではない。戦後、数十年が経ち、経済的には大国の地位を確立するも、戦後処理の問題、外交ミス、その誤解などが原因で、国際社会のメンバーとしてはまだ、日本は、品格にかける。
実際に日本の行なっている貢献は、実は大きいのだが、国際社会にはよく知られていない。ODA(政府開発援助)の額では世界一。国連の歳入の負担の19%を負う。日本はそれだけの権利を主張しても、おかしいとは思わない。
 
 だが、私は日本は安全保障理事会の常任理事国入りには反対の立場である。理由は明快。日本に哲学のある行動や発言がとれないからである。
今の日本にこれから21世紀を担う、政策や哲学はあるだろうか。それがないままに、アメリカに追従する日本。流れでその場をしのいでいこうとするその態度は、戦後、勢いだけでアジアの覇権をとろうとして、失敗し、大きな負債を背負った日本と同じではないか。
 
 安全保障理事会は国際社会の行く末を決定するほどの力がある機構である。そこに日本の立場が反映される。その覚悟はこの国にあるのだろうか。発言の責任を背負っていく意思はあるだろうか。たいした意味のないことしかできない程度の国では、舞台が小さいほうがまだましである。国際舞台に本格的に出て行くのであればそれ相応の、哲学を明確にしていくべきだろう。

《安全保障理事会についての解説》
 国連の安全保障理事会というのは、国連の中で、国際社会の安全について最も力を持つ組織である。構成は15ヶ国。国連総会と違って、迅速で、決定力があり、戦争など安全などだけに関して決定ができる。常任理事国というのは常にメンバーとなっている5大国(中国、フランス、ロシア、イギリス、アメリカ)のことを指す。なぜ、問題になるかというと、この常任理事国は拒否権があるからである。拒否権というのは一国でもNOと言えば、安全保障理事会の決議を不能にできる政治的な制度。これがあると、国際的な発言権が違う。
[PR]

# by kudo_koji_blog | 2005-05-29 04:36 | 国際

加害者よりも被害者の保護を!

 2004年2月8日、スイスの国民投票があり、性犯罪者に対して、仮釈放のない終身刑にするという法案が承認された。それに対して、スイス国家はずっと人権という観点からそれに反対してきたという。
日本でも参考にすべき点だと思う。

 私は死刑には反対しない。むしろ、賛成する。なぜか。それは日本の刑事システムが犯罪者に甘いからである。
私は日本の終身刑では、平均して20年ほどで仮出獄ができるというシステムに不満をもってきた。20年して再犯したらどうするのか。その刑事システムによって、予期できたはずの犯罪を再発させてしまったらどうするのか。その点に不満があった。
 
 だから、もし、死刑を廃止するのであれば、完全な終身刑をつくりだす。その目的は社会からの隔離である。平和な社会に対して、それ相応の危害を加えたら、当然あるべき、措置ではないか。それ以外に、無実な市民が安心して暮らせる道はないだろう。
 
 ヨーロッパやアメリカなど人権という概念に対して、親密な国でも、こと犯罪者に対しては日本よりも厳しいのではないか、と思う。たとえば、アメリカでは性犯罪者に対しては、性犯罪者登録者名簿を公開して、社会へ注意を呼びかける。イギリスでは、10歳の犯罪者の実名報道もされたこともある。
うわべだけの加害者保護を続けて、平和な市民がどれだけ犠牲になればよいのだろうか。

 最近、日本でも、刑罰を厳格にしようという動きが明確になってきた。法務省は2004年2月10日の法定刑の見直しを法制審議会に提出した。それによって、有期刑の上限が現行の20年から30年に引き上げられた。また、時効期間も見直し、殺人など死刑にあたる罪の場合は15年から25年に延長された。

 また、あたらしい犯罪として、集団強姦罪というのが提案され、被害者の申告なしに、犯人を訴追できるようになった。近年、大学らによる強姦事件が多発していることに対応してのことだろう。
 
 既に犯罪を犯してしまった人間よりも、平和に暮らしている人間を保護する。そして、それは決して他国からみても、おかしなことではないのだ。日本のあらたな挑戦を応援したい。
[PR]

# by kudo_koji_blog | 2005-05-28 00:00 | 社会

結果よりもプロセスを大切に!

 私は、最近、物事に挑戦していくなかで、大切なのは結果ではなくて、そのプロセスだという気がしてきた。

 自分の中で、目標を立ててそれを実行してきて今に至るのであるが、私を結果で判断してくる人間がふえてきて、そういうのに納得できないのだ。私は「自分はもっと上を見ているんだ」って怒鳴りつけたくなってしまう。

 私は今年を振り返ってみると、自分が思い描いていた目標の3割しか達成できなかったのだが、その結果で「すごい」と言われても、何か納得できないものなのだ。
そういう発言をする人には私が描いていた残りの7割の部分が見えないのだろう。100を目指して30しか届かなかった私のどの部分を目指そうというのか。少なくともその30を目指したら、私と同じになるわけはないだろう。

 最近、いちばん気になるのは野口英世である。野口英世が生涯で204本の論文を書いたそうだが、本人はどれぐらいのことをやろうとしていたのだろうか。少なくても2~3倍ぐらいはやろうと思っていたのではないだろうか。それをして始めて彼の気概が見えてくるのだろう。彼の結果だけではすべては見えてこない。
 
 失敗とか挫折。そういうプロセスを抜きにして、そこだけで人を判断するのはフェアじゃないような気がする。人間はすべてを含めて評価されねばならないだろう。

 失敗したら無意味という考えにも反対するようになった。成功することは目標なのであるが、それがすべてではない。挑戦すること、もしくは挑戦しつづけることに意味があるのだという感覚がある。

 今のこのどうしようもない自分がいて、その自分と対面しながら、あくせくと努力し、また挫折しながら、もがいている自分。それが本当の自分であり、いちばん大切なことかもしれない。あまりにも恵まれていたら、挑戦などしていないはずだ。
[PR]

# by kudo_koji_blog | 2005-05-27 23:42 | 人生

舞台は世界

 2004年2月29日、映画の最も定評の高いアカデミー賞の発表があった。
ノミネートされたのは、助演男優賞で渡辺謙。外国語映画部門では、「たそがれ清兵衛」。
結果は、2部門とも落選。日本の新聞やマスコミはこぞってそれを残念がっている。
 
 私はこれでいいのではないか、と思っている。もちろん、受賞してくれればそれはそれですばらしい。だが、世界の舞台で1ついい作品が出来たから、無名の人間が最高の賞をもらえるほど世界も甘くない。大切なことは、日本の有数の俳優が世界の有数の俳優と肩を並べ、日本の作品が、評価を集め始めたということだ。

 考えてもみよう。トム・クルーズがアカデミー賞を考えて映画に主演しているのだろうか。答えは否である。一つ一つの作品に全力投球しているうちに、結果としてあのような賞が取れるということでしかないのではないか。いちいち賞の結果を考えて、映画に出演しているぐらいでは、世界で活躍できまい。
 
 世界を舞台にしている人間は勝ち負けにこだわってはいけないと思う。なぜならば、自分よりもすごい人間など掃いて捨てるほどいるから。負けたということ自体は、自分が挑戦したという証であり、それほど後悔することではないのだ。

 昔、「私は、自分よりすごい人間を知りません」という人間に出会ったことがあるが、その人はただ単に、自分の相手を選んでいるだけであった。

 私はいつも思うのであるが、海外で勝負をしているスポーツ選手などが、そこでよい結果を出したときに、徹底して誉め、そして、失敗したときには、「だからみたことか!」と徹底して批判する日本人の卑屈な態度が嫌いである。
勝っても負けても、挑戦しようという前向きの人間を応援しようではないか。失敗したら「あなたならもっとできると思います」と賞賛してあげていい。

 質は量からしか生まれない。もし、日本や日本人が世界で活躍していこうとするのであれば、誰かが失敗したとか、成功したとかで一喜一憂すべきではないのだ。挑戦して、買ったり負けたりする人口そのものが多くなること、それが目標である。

 そうすれば、相対的に日本人の質は上がっていくのだから。
[PR]

# by kudo_koji_blog | 2005-05-27 23:40 | 国際

『野口英世・中山茂(著)・岩波書店』

 今まで野口英世に関しての本は数多く出版されているが、学者としての野口に焦点を当てたものはほとんどなかった。本書は米国ハーバード大学で科学史の分野で博士号をとった中山茂氏が、自分の経験や海外での研究の視点から、野口を描いたものであり、他の類書と一線を画す。

 少々、読みにくいのかもしれないが、本書に書かれている哲学は、今をもってすら妥当するものだ。
 「Publish or perish? (出版するのか、ダメになるのか?)」
 「Up or out? (出世するのか、それとも辞めるのか?)

 これらは欧米学問界において基本ルールだろう。単純であるが、明快なまでの欧米の学問界を斬る、中山氏の分析は傾聴に値する。日本の学者であれば聞く耳が痛い方も多いのではないだろうか。
 
 何を隠そう、私にとっても、野口の生き方はあまりにもシンプルであり、あまりにも本質的であり、知れば知るほど自分が何をしているのか、と叱咤したくなるほどだ。
だからこそ、自分を振り返る材料として、何か彼の生き方が参考になるのではないだろうか。
とかく瑣末な出来事で悩み、頭を抱えることが多い今日において、野口の生き方は突破口になるのではないだろうか。

 医学とか細菌学とかの分野だけではなく、様々な分野で挑戦をしている方にお勧めしたい本である。
  
 中山氏は野口の努力の量にも注目する。生涯で204本の論文を書き、ノーベル賞に3度もノミネートされた野口の努力は、結果にかかわらず賞賛されてしかるべきである。

 私は思う。野口の2%ほどの努力をすれば日本では充分学者としてやっていける。彼の30%ほどの努力をしたら世界的に有名になれる。だが、彼と同じ以上の努力をした人間を私は未だ知らない。

 今一度、彼がしたとされる行為や努力の数々を客観的に判断してみるのもいいのではないだろうか。

 
[PR]

# by kudo_koji_blog | 2005-05-27 23:39 | おすすめ

立ち上がったホームレス!

 先日、日本に帰国した際に、東京の新宿で「ビックイシュー日本版」を買った。雑誌が存在するのは知っていたが、関西のほうに本社があったので、東京にまで来ているとは思わなかった。
日本に入ってきている「ビックイシュー」というのはイギリスで始まったホームレスの人々が社会に復帰するための雑誌である。

 日本の場合では、最初10冊を無料で受け取り、それを元手にして、一冊110円で本を仕入れて、200円で販売する。なんとも厳しい。1冊売って、90円の利益。その日暮らしのための2000円ほどのお金を稼ぐのも一苦労だ。
 
 だが、このような形のほうが、気概をもった人間が生まれるのでいいのかもしれない。イギリスなどではお金だけを恵んでもらうためには何でもするというようなホームレスもいるのだが、そういう人にお金を寄付しても、その日、それを使って、その人のためにはならないだろう。寄付だけで年間に何百万円も集めたという逸話があるぐらいである。
このビッグイシューは立派な仕事なのだ。あなたが、「助けてあげている」という感覚は必要もないし、むしろ弊害でもある気さえしてくる。
初めて私が新宿駅前で話をした販売員は「まずは、この雑誌の良さをしってもらわないといけない」と真剣な顔で私に言った。いい物だから、買ってくれる。彼らの中に、「恵んでもらっている」などという甘えは一切ない。
 
 「機会さえ与えてもらえれば、自分だって人なみに働いてみせる」そんな気概をもった人たちのための雑誌が、このビックイシューなのだ。

 もし、皆さんが「彼らに明日はあるのか」という質問の答えを知りたくなったら、駅の前などで大声を張り上げている、彼らの顔をみてみるがいい。気概のある人間は身分や身なりがどうあろうと、輝いている。
[PR]

# by kudo_koji_blog | 2005-05-27 23:34 | 社会

『連戦連敗・東京大学出版会・安藤忠雄』

 人生を挑戦であるととらえる私にとって、安藤忠雄氏の生き方より参考になるものはない。どこまでも徹底した挑戦する姿勢、結果を省みない前向きな態度、創造へのあくなき渇望、それらは私が何よりも欲しいものであるし、もし、自分の中に少しでもこういう部分があるのであれば、大切にしたい。

 安藤忠雄氏は、知る人ぞ知る建築界の異端児。独学で建築を学び、世界の建築コンテストで賞をもらっている。といっても、私は建築学についてはずぶの素人なので、それらの賞がどれほど権威あるものかは知らないし、知ることはできない。

 ただ、一つだけ自分が確かに感じられることは、安藤氏の吐き出す言葉や考えが驚くほど生き生きとしていることだ。偽りの実力だけであればこれだけ説得力ある言葉を吐き出すことはできないだろう。実力と経験に裏打ちされた言葉のみがもつ説得力がある。

 私が衝撃を受ける文とは以下のようなものである。
「ギリギリの緊張状態にあってこそ、創造する力は発揮される」 
「逆境は最良のチャンスだからです」
「建築は闘いです。そこでは緊張感が持続できるか否かに全てがかかっている」
「連戦連敗で、よく懲りもせずに挑戦を続けると思われるかもしれません。ただ、私は、立ち止まることが嫌いなのです。たとえ負けても、次があるならば、そこに可能性を求めたい。許される限り、前へ進んでいきたい」

 ハウツー本ではない。ハウツー本では足りないのだ。
なぜなら、ほとんどの人はどうすればいいか、内心は分かっているからである。分かっていることを書かれても、プラスにはならない。衝撃が必要だからだ。
[PR]

# by kudo_koji_blog | 2005-05-27 23:33 | おすすめ

THE OFFICIAL WEBSITE OF KOJI KUDO

工藤浩司公式HP
http://www.qshobou.org/kudokoji/
[PR]

# by kudo_koji_blog | 2005-05-27 21:34 | おすすめ