工藤浩司オピニオン 公式ブログ


世界を飛び回る日本人   工藤浩司のオピニオン  
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工藤 浩司 (くどう こうじ)
1971年青森県十和田市生まれ。

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<   2008年 02月 ( 5 )   > この月の画像一覧


value (価値)とprice(値段)の違いがわかる人・わからない人

以前、知人の女性の誕生日のお祝いに、夫が料理をしたことがある。とは言っても、親子丼とサラダだから、たいしたものしかつくれなかったらしいのだが、その人はとても喜んだそうだ。

誕生日といえば、なにやら上品なレストランで上品な料理を食べることしか頭にない人は受け付けない話かもしれないが、本人がとても喜んだのだから、価値のある話だ。決して、値段では割り切れない話である。

こういう人をvalue(価値)がわかる人という。わからない人をprice(値段)でしかものをみない人という。

value (価値)がわかる人は、世間の値段競争に動じない。値段が高いものに飛びつかないし、値段が低くても大切にしたりする。大切なのは本人にとって大切かどうかだからだ。価値は個人によって違う。だから、押し付けることも、他人が判断することもできない。だからこそ、面白い。

一方、price(値段)でしか、物事を判断しない人も増えてきた。price(値段)はどこでも一定だ。世間で取引される一定の値段でものを見る。100円のものはそれ以上でも以下でもない。それが、値段でものを見る人の頭の構造である。

また、値段でものを見る人は、それ以上のものには嫉妬するし、それ以下のものは卑下をする。まるで、自分が何かに取り付かれているようだ。資本主義も一つの宗教だということかもしれない。

冒頭の夫婦の話はとてもいい話だ。価値を大切にしている人たちだと思う。

周りをみまわしてみてほしい。いいレストランで食事をして、それがすべてだと錯覚している人。いいモノをもって、それがすべてだと錯覚している人。いい給料をもらって、それがすべてだと思っている人。値段でしかモノをみない人の姿である。

値段を知ることは悪くはないのだが、それだけではいささかさびしい。人生においては、お金以外の価値を見出すことのほうがもっと大切なのだ。
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by kudo_koji_blog | 2008-02-25 07:13 | 社会

執筆のニュース

ホームページでの連載が始まっています!

http://www.iec.co.jp/index.php

新しい執筆のニュースです!今回は2冊組のテキストになりました。

http://www.iec.co.jp/products/course/business_skill/lg-03500/lg-03500.html
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by kudo_koji_blog | 2008-02-16 23:31 | 最新ニュース

バラック・オバマ VS ヒラリー・クリントンの行方

アメリカでは現在、大統領選挙の予備選でにぎわっている。今回、経済的にも政治的にも低迷しているアメリカのブッシュ政権を立て直すために、国民からは期待され、国際的にも注目されている。

面白いのは、民主党のヒラリーが勝ったとしても、オバマが勝ったとしても、初の女性大統領誕生か、初の黒人大統領の誕生となり、どちらも話題になる。

もうひとつ珍しいことがある。二人とも、上院議員だということ。今までの大統領は、ほとんど州知事か、副大統領が、選ばれてきた。そういう経緯のない二人が、大統領の地位を争うのは、よほど有能が人材がいないか、それとも画期的なことかのどちらかであろう。(例外は上院議員から大統領になったケネディ大統領)

また、二人ともロースクール出身の弁護士だということ。法律のバックグラウンド。これも面白い共通点だ。私もアメリカで実感したことだが、アメリカ社会がいかに法律を大切に扱っているかが、わかるだろう。

アメリカの大統領の条件の一つに、身長180センチ以上というのがある。他国を圧倒するために背の小さい人間は大統領になってはいない。ケネディ、レーガン、ブッシュ、クリントン・・・誰をあげても例外はない。そういう意味ではオバマに軍配があがりそうな気配はある。

ヒラリー・クリントンの強みは、「経験」である。そのようにヒラリーも主張してきた。2001年に上院議員に当選してからの経験は確かに有力ではある。また、大統領の妻という立場がどれほどの「経験」とみなされるのかも焦点となろう。

ヒラリーの弱みは、予備選で泣いてしまったことだ。国家のリーダーの候補者としてはあの場面ではないてはいけなかった。自分のキャパシティ(許容量)がそれだけというのを公衆でさらしたことになる。彼女が泣き始めて、同情する人はいたのかもしれないが、そこで、彼女に興味を失った人のほうが多いだろう。

最近、ヒラリーは自分の主張ではなく、オバマの攻撃を中心に主張し始めた。オバマ優位の情勢に、なりふり構わない戦法をつかったように見える。そうすれば、自分の優位性は築けるのかもしれない。だが、国家を率いる人間が、自分の哲学に基づいた政策をせず、他の候補者を攻撃ばかりしているとすれば、ヒラリーには大統領の椅子は荷が重過ぎることになるだろう。

オバマが、ヒラリーの泥仕合に付き合わず、明確な指針と政策について、その優位性を訴え、雄弁さを維持していければ、初の有色人種大統領が誕生するのはかなり近くなる。

ヒラリーが口にする「オバマの言葉にだまされてはいけない」という最近の彼女の主張にはディベートでは勝つことができないと負けをみとめてしまった感がある。身長のところでも指摘したとおり、「他国を優位に圧倒する」というのはアメリカの力強さなのだ。それは「言葉でも強さを証明する」ことも必要なのだ。「言葉ではない」という彼女に主張に動かされる人はどれだけいるのだろうか。「言葉の敗北を認める」・・・これはヒラリーにとっては致命傷ではないだろうか。
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by kudo_koji_blog | 2008-02-16 20:30 | 国際

どんな科目を選ぶのか?

研究をする際に、どんな分野を選んだらよいか、ということはとても重要な問題である。

大学時代は経済を学んだが、それほど意識して選んだわけではなかったので、もっとやりたい分野を選べばよかったと後悔したほどだ。結局、大学時代から、他の学部の授業をとって経済以外の科目をたくさん学んでいた。

自分の分野を選ぶさいに、考慮することはいくつかある、特に、日本のように商業化されてしまった社会においてはなおさらである。

本来ならば、研究するのはやりたい分野が望ましい。他の人にはどんなにつまらない分野であっても、本人にとって面白ければよい。本人がそう感じられれば、何か新しい発見などで貢献ができる可能性が高い。本人が面白くなければ発見や独創的な視点では物事は見られないだろう。

私の場合を話そう。私は分野は国際法にはじめからきめていた。少なくとも、国際関係か、国際法のどちらかをやりたかった。もともと正しいとか間違いとか、を突き詰めるのがすきだから、法があっているということも感じていた。

選ぶ際に、考えたのは①英語は専門にはしない、②「国際」と名のつくものにする、③社会にためになるような分野を選ぶ、ということである。

この三つのスタンスは今も変わらない。国際法はやればやるほど、面白いと感じたし、社会に貢献できる分野であると実感していた。

①英語を専門にはしない:これはなぜか昔から決めている。私は英語の専門家にはなりたくないし、なれないだろう。英語は私にとってメッセージを伝える手段以外の何者でもないのだ。それが、自分にとっての英語感覚であった。他に、よい手段(言語)があれば、それを使えいいだろう。

②「国際」と名前のつくものにする:高校生のころから、「国際」と名のつくものには興味があった。国際政治、国際平和、国際機構・・・。私がこういった分野に興味を持つのは昔から気づいていた。

③社会にためになるような分野を選ぶ:これについては若干説明が必要だろう。なぜなら、どんな分野でも社会にためになる可能性があるからである。

「すぐに役に立つか?」などという尺度でみれば、それこそビジネス系の分野や理系の分野がいいのだろう。だが、社会はそれだけでは動かない。いや、動いていない。心理学も、歴史も、社会学も、すべて必要なのである。

この質問は逆に、「自分が社会をどのように見ているか?」に大きく左右される。私の例でいれば、「日本は国際社会に多いに影響を受けている」という見方が、影響したものだといえるだろう。

最後に、自分の専門分野で、残念ながら、その人の将来の仕事は大きく左右される。理系の分野のほうが、文系よりも、仕事の数は多い。そういう理由から、理系の分野を選ぶ人が多い。

これも人それぞれなのだが、自分がどう人生を考えるかによると思う。「売れるものだけを学ぶ」という発想では、社会全体でみれば、あまり好ましくはない。社会全体でみれば、どのような分野でも専門家は必要なのである。

理系の分野では「どのように技術体系を発達させればよいか?」ということには多いに役に立つが、「なぜ、技術体系を発達させればよいか?」とか「どこまで技術体系を発達させればよいか?」には答えてくれない。「生活が便利になることが当然である」と思っている人にとっては問題ないのかもしれないが、それは文系の学問においては「生活が便利になる意味はあるのか?」と疑問を呈すべきことである。

学ぶ分野を考えるにあたってはいくつか考えなければならない問題があり、ひとつの答えを出すことはできない。個人的には「自分で面白いと思う分野を学んでほしい」と思っている。だが、なかなかそれだけで割り切れない社会的な事情もわかる。ただ、どのような分野も必要であるという意識は忘れてほしくはないと思っている。
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by kudo_koji_blog | 2008-02-10 00:21 | 博士号(PhD)取得への道

人と比較しないで生きることのススメ

よく人と比較する人がいる。「あの人よりがんばりたい」「あの人には負けたくない」よく聞く言葉だ。それじたいは悪いことではない。私もそういう負けん気はあるだろう。だが、それだけでは、すべて割り切れない。そこが大切だ。

ある人のことを話そう。その人は才能もあった。数年がたち、結局、自分の実力が、周りの人間よりも上になったとき、傲慢になってしまい、結局は、人が離れていってしまった。結局は、自分の志を失って、自分の財布のことだけを考えるだけの人間になってしまった。

一人の人間が、対応している人間など、せいぜい100人から200人。多くて1000人程度か。その小さな世界で秀でることは悪くはないが、それだけでいいのだろうか。結局は、その比較の世界でしか生きられない。

そういう人間は、自分の中に基準がない。基準が他との関係で決められていく。それが原因だ。だから、そういう人は他人との比較がすべてになっていく。

組織で働いて、自分が、組織内で成功しているだけなのに、自分が人間的にも優れていると誤解してしまう人間もいる。そういう人間にはなりたくはない。

できるのならば、金太郎飴のような人でありたいと思っている。人とであうのならば、どこでどう会っても同じでありたい。他人との比較から、離れ、自分の本心からやりたいと思うことをやっていきたいと感じている。

注意することは以下のとおりになる。

①他人との比較は初期から中期の段階でやめておく。

②他人との比較をして上回っても、それは部分的一時的なもので、だからといって、人間が優れているわけではない。

③他人との比較はあくまで自分の力を伸ばすためだけのものとして、割り切って考える。

④他人との比較は、ある時期まではプラスになることもある。
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by kudo_koji_blog | 2008-02-06 17:02 | 人生