工藤浩司オピニオン 公式ブログ


世界を飛び回る日本人   工藤浩司のオピニオン  
by kudo_koji_blog
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≪PROFILE≫
工藤 浩司 (くどう こうじ)
1971年青森県十和田市生まれ。

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<   2007年 07月 ( 5 )   > この月の画像一覧


幸運の法則を考える

私は自分が客観的に見て幸運かどうかはわからないが、自分で不幸だと思ったことはない。いや、「不幸」だと思わないようにしているというのが正しいのかもしれない。「不幸」だと思ったところで、何も変わらないし、人も助けてくれない。だとすれば、「幸福」だと感じて、自分の心理状態を良い方向にもっていったほうがいい。

「心理状態を良い方向に、もってい」くということはチャンスがあったら即動けるようにしておくということだ。チャンスがあっても「もう少し考えさせてください」などといったところで、チャンスは逃げてしまう。一瞬のスキを逃さない心構えといったところだ。

とは言っても、自分の状況がギリギリになることは多く経験している。「今回はさすがにまずいな・・・」などと感じることもかなりある。だいたい私がそう思っているときはそんなことは口にださずに笑っている。どんな時でも卑屈にならず、奮闘する。そうすれば何かつかめるときがやってくる。

自分の周りを見てみると、「ラッキーな奴だ」と思える人間は多い。「神は特別にこの人間を愛している」と確信できるほどだ。そういう人は、それだけのことはやってきているし、そういう人間を世界は見捨てない。ある意味で、幸せになるための条件は自分が「ラッキーな人間だ」と思いこむことである。運が実力である・・・と言われる理由がそこにある。

イスラムの世界ではどんなに自分が不幸になったとしても、「神の思し召しで(アル・ハム・ドッリーラー)」と言い、自分が良い状況だということを神に感謝する。だから、自殺などする人は少なく、現状を笑い飛ばす。How are you? (調子はどうだい?)と聞いても、悪い答えは返ってこない。

野口英世の生き方は私にはとても面白い。客観的に見ると、科学の発展期に渡米して、勃興期にロックフェラー研究所に入り、研究方法も当時の最先端を行くものに遭遇している。そういう意味では紛れもなく野口は「幸運」であった。だが、同じ状況であれだけの成果を出せるのも野口だけなのだ。

「しかたがない」「しょうがない」などという言葉は前向きに生きている人間にとっては意味をなさない言葉でしかない。それは現状を改善しようという努力を放棄しているのと同じことだからだ。

幸運だと思っている人には幸運が続くようになっている。ひとつの「成功」をわざわざ仰々しく考えない。よいことが起こっても、当たり前だと思うので、さらに行動も思考もポジティブになっていくというわけである。

失敗しても、いちいち目に止めない。それは挑戦していることの証であるからだ。上を見て挑戦すれば敗北はついてくる。どんなに自分が厳しい状況にあっても、「不幸」だなどと考えずに、挑戦し、奮闘する気概を持ちたいものだ。
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by kudo_koji_blog | 2007-07-30 09:07 | 人生

英語コミュニケーションについてのアドバイス

英語のコミュニケーションについて:著書を読んでいただいてありがとうございます。通常の日本人が英語のコミュニケーションをする場合、大きく3つの視点が必要かと思います。

1、英語そのものの表現力の向上
2、言いたいことが言える討論力の向上
3、言いたい情報を増やす

1については「右脳全快!奇跡の英文法・リック西尾・講談社文庫」などで、基本構文を丸暗記されることをお勧めします。退屈ですが、そのほうが長期的に英語発信力は伸びるように思います。英語→日本語から初め、日本語→英語ができるまで何度も何度も練習するということです。

2については討論技術を学ばれることです。そして、友人とディスカッションするような機会を設けるのも楽しいものです。勉強会でもいいです。何か、目的もなしに自分の考えをぶつけられるような環境づくりが大切かと思います。

3についてはいろいろ質問されて悔しい思いをしたり、考えたりするのを機会にいろいろなことを考えたり、読んだりすることが、しっかりとした情報を身につけることになると思います。

私は今でも、授業の後、議論のあとで、「ああいえばよかった」「こういえばよかった」と思うことがありますが、だからこそ、次あるかもしれない対話のために学ぼうという気持ちになります。悔しい思い→学習→悔しい思い→学習・・・このプロセスが、将来的にはとても自分を伸ばしてくれるものだと考えています。
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by kudo_koji_blog | 2007-07-25 08:01 | 英語

意見が絶対ではないということへの返答

意見が絶対ではないということ:そして、ここまで考えてくると、お気づきになるかもしれませんが、こういうように返答している私も、絶対ではない、という制約を受けることになります。

ですから、他の人の意見を読み・聞き、それを判断されるのは、読者や参加者の方自身なのです。良いという部分は取り入れ、悪いという部分は質問して、おかしければ取り入れない。自分でよいと思っても、おかしければ修正する。そういった落ち着いた態度こそが、自分の教養を高めてくれると私は考えています。ですから、教えたり、書いたりするほうも、同じく学びながら切磋琢磨するということになります。
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by kudo_koji_blog | 2007-07-25 07:59 | 議論

討論の技術についての返答

質問への回答を公開します。

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討論の文化と別に、討論をする技術というものは存在します。具体的にはいろいろあるのですが、一番根底にあって、みとめなければならないものは「別な観点からの意見はおおいにありうる」ということです。なぜならば、異なった意見は異なった価値観から作られることが多いので、そういう場合、多文化が混ざっているアメリカやヨーロッパでは当然のごとく受け入れられるでしょう。人種や国籍が違う人が多いのだから、価値が違ってもおかしいことではありません。

それ以外の技術の点については、語弊をはばからずに言わせてもらえば、日本人も欧米人も五十歩百歩です。日本人の討論技術もしっかりとした指導者が教えれば、まったく問題ないと考えています。できれば異文化体験をされた方のほうが、よりよい討論技術が学べるかと考えています。
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by kudo_koji_blog | 2007-07-24 08:56 | 議論

大学での討論についての質問への返答

大学での討論についての質問があり、それに対しての返答を書きましたので、ここでも公開します。

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日本人のコミュニケーションの弱さや大学での討論技術の機会のなさが、よく言われますが、私は大方の見方と少々違った見方をとっています。

日本の大学では確かに、討論技術は教えませんが、欧米の大学とてそれはあまり変わりがないように感じています。アメリカの大学とくに学部ではスピーチのクラスがあったりするようですが、現実にはせいぜい1つか2つのクラスだと思うので、1つのクラスだけで、生徒の討論技術が大きく変わるというものではないと思っています。

ですが、どうみても、日本とアメリカと教育を受けたものの討論力の違いは歴然とあるのですが、それはアメリカの大学・大学院の場合、「授業が討論そのものである」ということにあると考えます。簡単に言えば、質問と返答ですね。それを4年間なり、2年間、みっちりと体験するわけです。これは「洗礼」という言葉がぴったりなのです。大学は知識を提供するところではなく、自分で学んだ知識を生徒や教授と討論して、真理を発見するところ・・・という位置づけになります。

ですから、お知り合いの中国人の方のいう「中国では討論のクラスで、その技術を学ぶ」というのは、私にとっては妥当ではなく、質問や返答がよくなされる環境にどれだけつかっているかが、鍵になるように感じているのです。自己主張をしていく文化はあるかもしれませんが、中国人がとりわけ対話する技術を持っているようには感じてはいないです。

私自身も、アメリカのロースクールで学位をとっていますが、そこで、討論のクラスがあるわけではありません。しかし、授業は討論そのものです。アメリカの学生は「うるさい」と思うぐらい質問してきます。そういう中で私も1クラス3回以上発言というルールを課して「じゃまなやつだ」と思われるぐらい参加してきました。それが、討論の文化を身体で体感するということなのです。

そういう意味で、どういう指導者と接し、仲間と話をしているかが、大切なことだと考えています。
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by kudo_koji_blog | 2007-07-23 09:30 | 議論