工藤浩司オピニオン 公式ブログ


世界を飛び回る日本人   工藤浩司のオピニオン  
by kudo_koji_blog
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≪PROFILE≫
工藤 浩司 (くどう こうじ)
1971年青森県十和田市生まれ。

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<   2006年 12月 ( 4 )   > この月の画像一覧


仲間が亡くなった!

今日、私が一緒に机を並べていた仲間が亡くなったというニュースが入った。病名はcardiac embolismらしいのだが、心臓の血管がつまってしまったのだという。

彼はずっと孤独だった。奥さんと離婚し、彼女は別の男性を見つけて、再婚。彼だけは、独身で、毎日酒におぼれる毎日だった。アルコール中毒であるというのは震える手を見れば一目瞭然だった。

自分の過去を忘れるように酒を飲んでいたので、内心はナイーブでやさしい男だったのだろう。何事にも全力をつくしているようには見えなかった彼も、息子の話とラグビーの話になれば、身を乗り出して話をしてきたのを今も忘れない。本当は情熱的ないい男だったはずだ。

彼は、私が知っているだけでも、3度ぐらいは病院に運ばれていた。時には、心臓が止まってしまったこともあった。

医者からは酒と煙草を止めるように言われていたが、結局は、死ぬまで止めることはできなかった。

本当の死因は分からない。聞くところによると、片手に煙草、片手に酒を飲みながら、息子が働く酒場でそのまま息を引き取ったらしい。一番好きなことをしながら、好きな場所でなくなったのだから、ある意味で、幸せだったのかもしれない。

人間があんなにもあっけなく死んでしまったことに驚きを隠せなかった。自分の中ではまだ整理がついていない。

どんなに健康に気遣ってもあっけなく死ぬ人は死ぬだろう。あるいは、どんなに不健康にしていても、長生きする人は確かにいる。健康を気遣えば、確かに長生きするのかもしれない。だが、どんな人間も死からは逃れられない。

ただ、自分で、自分の運命を早めようという気はない。その時がいつ来るかわからないが、納得した生き方をしたい。そうであれば、幸せな生き方だったと言えるのかもしれない。

亡くなった彼の冥福を祈る。
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by kudo_koji_blog | 2006-12-29 06:53 | 人生

男女の地位とその平等化①

最近、イスラム教徒の女性と男女平等のことについて話す機会があった。イスラム教徒でありながら、それでも、イスラム教の持つ価値に同意できない彼女の主張には傾聴すべきものは多かった。

たとえば、イスラム教の下では、男性はある一定の条件の下、妻を4人まで持つことができる。女性はそのような選択肢はない。

これひとつとっても、男女間の地位が違う。

男女平等というのならば、女性も4人まで男性と結婚できる、というようになるべきというのが、理論的な帰結だろう。

あるいは、財産分与。たとえば、息子と娘の二人兄弟で、両親がなくなった場合、息子の取り分は娘より多い。それは、息子側に残った家族を養う義務がついてまわるからである。これも、男女不平等の表れと言えるだろう。

私もこの議論をなんどかしてきたが、男性のイスラム教徒に質問をすれば、「いや、イスラム教の立場は男女平等である」というのだが、女性から見れば納得いくものではない、という。実際には統計をとったわけではないので、わからないが、持つべきものが納得し、持たざるものが、不満を持っているというような感じを受ける。 (つづく)
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by kudo_koji_blog | 2006-12-22 10:29 | 社会

生徒から刺激を受ける!

先日、キプロスで私が教えた生徒から連絡があった。無事博士課程に合格し、来年1月から、モスクワの大学に渡ることになったという。

私は自分が少しでも教えた生徒がそこまで来たということに、喜びを感じた。博士課程に入れば、研究者の卵と言えるからだ。また、同時に、自分もがんばらなければならない、という刺激も感じた。

以前、私が大学院に入ったとき、担当教授に、「刺激になります」と言われたことがある。その意味が、今、本当に分かった気がする。

もとより、私の授業を少し受けたからと言って、たいした変わりはしない。だが、そこに少しでも貢献できたのかもしれない、という誇りはある。自分の書いた推薦状はどういう評価をされたのだろうか、奨学金は下りたのだろうか・・・そんなことを考えながら、毎日を過ごしている。

生徒は生徒であって、生徒ではない。いずれは成長して自分を通り越していく。そこを喜びつつ、刺激と感じつつ、教える人間は教えていかなければならないのだろう。
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by kudo_koji_blog | 2006-12-12 10:09 | 人生

映画「ボラット」を考える

先日、日本の寿司の食べ方を動画にしたものをyoutubeで紹介された。動画は寿司の食べ方を英語の解説入りで、説明するものだ。見ている限りは真面目なドキュメントにも見えなくもない。その中に「寿司を作る人は寿司をのせるテーブルを拭く布巾で、顔を拭く」などというものが随所に入っている。

これをみた日本人の人は「笑えるから」と言って、紹介してきたのだが、私は笑えなかった。なぜか。「これでまた日本人の誤解が増えるな」と思ったからである。国際的な誤解を解いていくのは、義務であると思っている私には、迷惑にしか思えなかった。

コメディーを作るのは構わないし、強調したり、誇張したりしてもいいのだが、それならそのように言わないと、見るほうが本気で受け取ってしまう。聞くところによれば、シリーズがあるそうだが、これで、笑っている日本人と不思議がっている外国人の顔が目に浮かぶ。

自分で誤解されるようなものをつくり、笑っている日本人の中にあるものは何だろうか。「日本人は決して誤解されない」という奢り、「こんなもの本気にしないだろう」という国際オンチ。それとも、何にも感じないのだろうか。

今、ヨーロッパでは映画「ボラット」が流行っている。ユダヤ人の天才コメディアン、サッシャ・コーエン扮する(映画ではカザフスタン出身という)ボラットが、アメリカを旅してまわるというストーリーだ。

それがまた面白い。彼の誇張された文化描写、そして、それを真剣に受け取ったり、怒ったりするアメリカ人。映画では笑われているのは彼なのだが、そこに潜む、欧米人の浅はかな知性をせせら笑っているのはボラットのほうなのだ。

反ユダヤ発言を繰り返しても、彼には批判は集まることはない。なぜなら、彼はユダヤ人だからだ。

カザフスタン政府はこの「ボラット」を批判しているのだが、それではなかなか収集がつかない。もともとカザフスタンの場所も名前も知らないというのが現状だからだ。

カザフスタンの外相が、このように新聞に書いていた。異文化を受け入れ、たくさんの外国人を受け入れて来た、本当のカザフスタンを知っていれば、あなたは笑えない。

不幸にもほとんどのカザフスタン人はこの映画を見ることはないだろう。そこではインターネットなどまだ全面的には普及していないからだ。

だが、他国の国のストーリーを見聞きするとき、気をつけておかなければならないことがある。他人はあなたの国のことなど知りはしないということだ。

この映画はぜひお勧めする。ただ笑い飛ばすのではなくて、そこに潜む欧米人の差別感覚、そして、時には切り返してくる機転、知識人とのやり取り、そしてイギリス生まれで、ケンブリッジ出身のユダヤ人が演じるボラット。学ぶことは多い。

ヨーロッパではバカ受けしたこの映画、私は日本では売れないと思っている。なぜなら、国際感覚が育っていないからだ。いつ、自分たちの国にも起こるかもしれない、ということを考えれば、カザフスタンに同情せずにはいられない。
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by kudo_koji_blog | 2006-12-04 01:36 | おすすめ