工藤浩司オピニオン 公式ブログ


世界を飛び回る日本人   工藤浩司のオピニオン  
by kudo_koji_blog
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工藤 浩司 (くどう こうじ)
1971年青森県十和田市生まれ。

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<   2006年 08月 ( 5 )   > この月の画像一覧


水タバコのshisha(シーシャ)の危険性を考える

アラブの世界で有名なものに水タバコがある。これはshishaと呼ばれ、本来はインドでフーカと呼ばれたものらしい。水と炭を使って、いろいろな味のついた煙を吸い込むもの、そばで香りをかぐ限りはタバコと違い、悪い感じはしない。

http://www.eco-fact.com/sisha1.htm

上のサイトで、その写真を見ていただきたい。

ここ数年アラブの世界にも広まってきたし、イギリスでも、多くのshishaの店がオープンした。shishaカフェというところもあり、そこにいけば、1200円ほどで自分の好みのshishaが吸える。吸わない人は、飲み物、デザートがある。

一般的に皆が誤解しているのは「水タバコが通常のタバコよりも、人体への害が少ない」というものがある。中東の人間でも、酒タバコはやらないが、水タバコは吸うという人間も多い。

現実には、水タバコが通常のタバコよりも、害が少ないという証拠はない、という。タールが入らず、ニコチンも少ない、という意味で、「害が少ない」という人もいるが、害の証明はニコチンの量とは全く違う。

私は友人が吸っているのを見たのだが、身体に吸い込む煙の量はタバコの数倍になる。しかも、40分ほど吸うといわゆる軽い酩酊状態になってしまう。はずんだ会話もできなくなる。水タバコを吸ったあと、車の運転などは危険なので、新しい法整備が必要だとも考える。

私は自分の感覚を鈍くさせるのはすべて嫌いである。タバコも酒も麻薬もやらない。できれば自分の目で、さまざなことを目にし、感じ、考えたいと考えている。人間がもつ最高の能力は自分で感じ、考えられることだ。それを大切にしたい。

日本でもまだ少ないがshishaを好んでいる方がいるようだが、その害についてはタバコとさほど変わらないということをしっかりと理解をしたほうがいい。
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by kudo_koji_blog | 2006-08-20 22:20 | 社会

会田雄次の書物

会田雄次という学者がいた。歩兵として戦争に参加して、イギリスの捕虜になり、その後作家になった。彼の捕虜体験を描いた「アーロン収容所」は名作である。

2年ほど前にふと彼の本を手に取ったことがある。驚くほど新鮮だった。まったく古さがない。だから、今でも、廃刊にならない。

細かいところでなく、ずばっと本質に迫る。一文一文に魂が宿る。いい学者だった。ああいう本物の気骨ある学者がいなくなった。

ああいう学者にとっては自分の周りのことも、日常の些細なことも真剣だ。自分の感覚・判断をするために孤高を保つ。ちょっとした会話にも自分がある。世間の価値になびかない。自分の判断を世間にぶつけていく。

私もかくありたいと思う。
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by kudo_koji_blog | 2006-08-17 08:17 | おすすめ

ロンドン テロ計画 再び!?

ロンドンのヒースロー空港でテロの計画があったという。ロンドン発アメリカ行き便が狙われたようだ。関係者が24人ほど逮捕されたということが報道されている。

ヒースロー空港は厳戒態勢に入った。機内持ち込みは原則禁止で、例外的に持ち込む場合はビニール袋に入れて持ち込むことになったという。

ただ、テロ未遂と言っても、何がどのようになったのかは定かにはされていない。「"commit mass murder on an unimaginable scale" 想像もできないほどの大量殺戮をする」(タイムズ)という表現が使われているだけだ。テロでなくて、テロ準備なのが気になるところだ。

英国政府が詳細を発表していないにもかかわらず、米国土安全保障省のチャートフ長官はアルカイダ関与を指摘している。

ただ、「相当数の航空機(a number of air craft)」、「空前の規模(unprecedented scale)の人命被害が予想されたもの」などという表現が一人歩きしている。最高12機の飛行機が被害にあうという可能性も指摘されている。感情を先に掻き立てるような報道は常に危険がつきまとうということを指摘しておきたい。

事件の真相は別として、イギリス政府にはプラスに働いていく事件だとも言える。最近、アフガニスタンでイギリス兵士が亡くなったりしているので、国民の世論を外に向けるには都合がよいだろう。
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by kudo_koji_blog | 2006-08-10 18:42 | 国際

一生仕事を得ることがなかった博士の話


生涯フルタイムで仕事を得ることがなかった博士と出会った。それまでは何十年も、パートで非常勤の講師をしたりして、しのいでいたという。彼が博士号を得たのはアメリカだったのだが、さまざまな壁にぶちあたり、50代半ばまで講師などの職にはありついていなかったという。

理由はいろいろある。まず、専門分野。彼の専門は英文学。英文学は微妙な分野なので、外国人が専門として扱われるには多くのハードルがある。なぜなら、英文学を教えると証して、英語そのものを教えるのが多くの大学の現状だからだ。それであれば、そこらへんにいるアメリカ人やイギリス人で足りるということになる。

日本でも英文学の教授の条件に「英語を母言語とする人」と追加されることが多いのだが、それも同じことだ。

次に、国籍、人種の問題。彼は英語を母語のように話すのだが、それでも、形式上、彼の国籍が問題になったのかもしれない。言語について、渡米前から英語が達者だったらしいので、渡米後20年たち、正式にアメリカ人となった今では母語と同じようだ。

最後に、性別、能力での差別がある。本人から聞いたのだが、アメリカの大学では英文学の分野はほとんどが女性だということ。男性で、しかも、オックスフォード大学で出版経験のあるような想像性があり、能力のある人間には嫉妬してしまい、逆に、機会がなくなってしまったという。

英語ではoverqualifiedというのだが、能力がありすぎて、かえって選考にもれるということは別に珍しいことではない。

博士になるということが、まるで将来を約束するかのごとく考えている人たちがいるが、現実にはそうでない人はざらにいる。博士になるだけでは足りないのが現状だ。国籍や人種、言語の壁をやぶり、明らかに現地人に差をつけて、書いて勝負していく。

博士を目指す人は「それでも博士になりたいのか?」と自分に問いかける勇気が必要だろう。
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by kudo_koji_blog | 2006-08-06 16:45 | 社会

ボクシングはスポーツなのか?・・・亀田興毅戦を考える


先日、WBA世界ライトフライ級のボクシングのタイトルマッチがあった。話題の新鋭・亀田興毅とベネズエラのチャンピオン・ランダエタの一線は全体的にはランダエタの優勢だったにもかかわらず亀田に旗があがった。多くの日本人ファンが疑問をもち、数万人の人たちがクレームをテレビ局などに寄せているようだ。

まず、この試合そのものについて、判定基準が明確にされなければならない。この方式はラウンドごとに優劣をつけていくマストシステムというもの。通常のボクシングの試合とは違う。全体的な流れで優勢であっても、ラウンドごとの優劣で負ける場合がありうる。

では、この試合はどうだったのか? マストシステムでも、ランダエタにあがるという見方も多い。私は最後のラウンドだけみたのだが、最後のラウンドは明らかにランダエタにあった。

もし、この試合が、極端なホームタウンデシジョン(地元による不公正な判定)によるものであれば、日本のボクシングの地位が陥落した瞬間だとも言える。「日本でやると負けるから」などという評判は公正さを売り物にするスポーツ振興国の名を貶すものだ。

仮に、この試合結果が妥当だったとしても、問題は多い。ランダエタ側は判定結果に対して、正式に抗議すべきだ。本人はその意図がないらしいが、そうであれば、「僕のほうが勝っている」などという発言は控えたほうがいいだろう。

そもそもボクシングはスポーツなのか。ここも議論されていいと思う。プロモーター側がすべてを仕切るボクシングの興業は常に、その意図に沿うようにお膳立てされていく。少なくともそういう傾向は否定できないだろう。

タイにはムエタイというキックボクシングがあるのだが、あれはスポーツではない。タイ人の人もスポーツではないというぐらいだ。選手同士を戦わせ、観客はお金をかけ、それをみて楽しむ。選手も、賭けを成立させるために、最初からダウンを狙うことはない。日本でいうと、競輪・競馬というような感覚だ。

ボクシングがスポーツであれば公正さは保障されなければならないだろう。WBA側は正式にこの判定についての判断をくださなければならないだろう。

ボクシングを武道というのであれば、戦うものたちの礼節や態度までが問題にされなければならない。

ボクシングがプロレスのようなエンターテイメントであるのなら、今回の試合はさして議論するに当たらないのかもしれない。視聴者がこの一戦に興味をもち、苦情や非難をしている点で、エンターテイメントの意義はあったとも言えるからだ。
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by kudo_koji_blog | 2006-08-05 20:50 | スポーツと武道