工藤浩司オピニオン 公式ブログ


世界を飛び回る日本人   工藤浩司のオピニオン  
by kudo_koji_blog
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
カテゴリ
《プロフィール&連絡先》
《連絡・相談・質問》

dgdfk247 @ ybb.ne.jp まで。

≪PROFILE≫
工藤 浩司 (くどう こうじ)
1971年青森県十和田市生まれ。

<応援ホームページ>
トータル・ケア・カウンセリング
http://stresscare.exblog.jp/
フォロー中のブログ
検索
ライフログ
以前の記事
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

<   2006年 06月 ( 4 )   > この月の画像一覧


夢を大きく持てる人間

私が受け持っていた修士課程の生徒と食事したときのことだ。「私は総理大臣になりたい」そんな彼の目標を聞いた。彼の婚約者も来ていたのだが、彼女はどこか半信半疑だ。彼はすかさず「今にみてろって」といい、そのまま話を続けた。

私はそれを聞きにっこりとしてしまった。私は、ひさしぶりに大きな夢をもつ人と出会ったので、うれしかった。あの北キプロスでは素直に自分を表現する人たちにたくさん出会えたような気がする。「私は大学の学長になりたい」「将来弁護士になりたい」・・・そんな彼らの目はまったく真剣だった。

日本ではどうか分からないが、私の周りには夢を語る人間が多くいる。しかも、それはとてつもなく大きい。通常人が聞いたら、まったく信じないだろう。私はそれを信じるし、だから話を聞いていられる。本人自身に嘘があるのなら、私はその話を聞いていられないだろう。

総理大臣になりたいという生徒は私とずっと連絡をとりたいというし、私もそうありたい。そんな大きな夢を描ける人間はよほどの志が高いか、バカしかいない。私が見る限り、彼は前者でしかいない。

自分の月給がいくらであるか、ということを比べあうことが人生の最大の目標であるような人は、私にはつまらない人でしかない。私はそれよりも、大きな目標を愛する人たちを好む。

北キプロスを出る直前、幾人かの魂に触れることができた。一瞬であったが、あそこまで来た甲斐があったと思う。自分の夢をしっかりと認識して、それを伝えることができる。それは目標達成への一条件である。

それは私へのメッセージだったのかもしれない。あんな隔離された小さな島で、目標をしっかりと持てる人間たちと出会えた。現実という波に流されることはあるかもしれないが、しっかりと高い目標を持たなければならない、ということを自分に戒めようと思う。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2006-06-25 05:38 | 人生

イギリスに戻りました

6月15日にイギリスに戻りました。今は、レスターで暮らしています。

自分の中では「キプロス脱出」という感覚です。「とにかく、ここを出よう」そんな思いで、キプロスを後にしました。

僕にとっては「イギリスに戻る」という感覚です。日本には「行く」という感覚になります。今後は今までよりも、よりエッセイのアップデートを行っていきたいと思っています。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2006-06-23 06:21 | 最新ニュース

私と妻と北キプロスの関係

私が北キプロスのアメリカン大学から仕事のオファーをもらったとき、真っ先に反対したのは妻である。何を言ったのかは覚えていないが、反対しているときはそういう表情をするので、すぐに分かる。そういうときは否定するための情報しかもってこない。妻の両親も、最初のうちは反対していたように思える。

「結局、妻が了解しなければ行くのは辞めよう」と心のどこかに思いつつ、話をしていくうちに、別な視点からの情報も入ってきて、妻の意見も変わってきた。いちばん大きかったのは、私の友人のトルコ人女性が、実際に北キプロスに2年ほど住んだことがあり、その人が、「北キプロスは安全ですよ」というコメントをしたことによる。女の人の意見はかなり説得力があったようだ。他の人は、「とにかく行くべきだ」とか「そんな危険なところとんでもない」という期待や希望、不安のまざった意見も多かったので、妻にはあまり意味をなさなかった。

結局、その2~3日後に、返事を出さなければならなくなり、妻は最後に「行ってもいい」という返事をくれた。私は「行ってみてだめなら辞めればいいさ」といういつもの楽天的な考えで、すぐにオファーを受け入れた。

私がここで、法律の上級講師の仕事をしている間、妻は週2日ほど図書館で働いた。知り合いなど誰もいないようなところで、一日中家で過ごしてほしくないと思っていた私には、とてもいい機会だったと思っている。もうひとつ良かったのは、妻が始めて、英語という言語だけで、仕事をしたことだ。日本でずっと育ち、英語といえば、受験英語しかやっていなかった妻にとっては、大きな挑戦だった。

結果は、親切な職場の人に囲まれて、とてもいい人間関係を築いたようである。職場を離れるとき、「私の家をあなたの家だと思って、いつでもやってきて!」と言ってくれる女性とも出会い、とても、幸運だった。仕事を辞めてからも、「顔を出しに来て」というアンコールに応えて、何度も図書館に足を運んでいた。そういうコミュニケーションが出来ている妻を見ていると、うれしい限りである。

もし、妻が私のコミュニケーションスタイルに影響を受けていたとすれば、「コミュニケーションはつまるところ言語ではない」ということがあるだろう。気負わずにコミュニケーションをすることが、自信をつくり、人間関係をつくる。その部分を理解して、それを普通に実践できたのは人なつっこい人柄の北キプロスという場所だからなせる業だったのかもしれない。

この1年間、妻はたくさんの問題にぶち当たった。①停電。ひどい時は2~3日に一度やってくる停電のたびに、妻は不機嫌になった。停電がなおるまで、階段のところで座って待っている姿は今も、忘れない。数ヵ月後には、臨機応変に「停電のときは外食しよう」と考えられるようになった。

②虫。北キプロスでは、トカゲがいる。家の中にもやってくる。また、たくさんの虫がいる。家の中にやって来るのは、ハエ、クモ、アリ、蚊などである。妻がいちばん悩まされたのは蚊やノミだった。人一倍、さされやすい体質で、外や家でよく刺されていた。身体が虫にさされた後だらけになってしまったのを見ると申し訳ないと思う。

③日焼け。焼け付くような日差しの中で、歩き回った私たちは、けっこう黒くなってしまった。外に出るときは必ず日焼け止めをつけるようにしていたが、それも完全ではなかった。外に出るたびに、日差しの強さで、疲れてしまうのは誰も皆同じようだ。

④最後はやはり大学のおろかさによる疲れがあるだろう。給料が振り込まれなかったり、約束を守らなかったり、事務のミスを平気でおかす大学のレベルの低さにはお互いに辟易していた。そのたびに、お互いがいらいらしたりして、エネルギーを消費してしまったことだろう。給料が予定通り入っていると、まるで宝くじに当たったようにうれしくなるほど、事務レベルは低いのだ。今も、給料が入らず、学長に抗議しにいかなければならない状況だからだ。

しまいには「北キプロスの何もかもがいやなの」と言って、早くここを出たがった妻だが、妻の援助なしにはここでの生活はなしえなかった。

考えてみれば、こういう場所で、二人の生活をスタートできたのは幸運だったのかもしれない。今後、これ以上悪いところで過ごすことはないからだ。

妻だけがここを出たがったのか、といわれればそれは嘘になる。私もどこかでここに長くいてはいけない、ということが分かっていた。ここにいる人は、ここにいることを希望していると、他に行くことがない人、他に行きたいところがあっても行けない人だ。私はどこにも当てはまらない。「ここにいると勝負できなくなる」・・・それを全身で感じてしまったのだ。私は、まだ勝負がしたい。

何年か過ぎ、妻がこの時期を振り返ったとき、お互いに笑って「あの時は楽しかったね」と言える日が来るといいと思っている。それを妻に言ったら、「あの時は楽しいなんて、いやだわ。いつも楽しいのがいいのよ」と返答されたのを覚えている。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2006-06-13 16:52 | 北キプロス紀行

トルコ軍基地に足を踏み入れる

北キプロスには3万とも4万とも言われるトルコ軍が駐留している。それは北キプロスを守る砦。彼らの脅威があるから、南側は何も出来ない。ある意味で、安定しているのだ。彼らがいなくなった時点で、ギリシャ軍がやってきて、ここを占拠するだろう。トルコ軍はここでは重要な役割を果たしている。その軍の地域は関係者しか入れない。先日、ひょんなことから、そこに招待されて、私と妻はトルコ軍基地の中に入ることになった。

厳重なゲートを通り抜けると、そこはキプロスのギルネが一望できる場所がある。写真はとれない。かつて、皇室や司教の場所として使われた場所は今では、軍人の憩いの場所となっている。

軍隊関係者と一緒であれば中に入ることが出来る。幸運にも、現役の上級大佐が私の生徒だった。彼が受け持つ、その場所で、盛大なる歓迎を受けることになった。最高の景色、最高の人間たち、最高の食事・・・夕食の間は兵士の一人が、生でギターを披露してくれた。

「あなたの授業を受けることができて、本当に光栄です。ここに招待された人はあなたともう一人しかいません。授業を聞くに値するのは二人だけです。F教授とあなたです」

もう一人は私も知っている教授の名前だった。学部を超えて、みんなに愛される教授だ。どこにいても、彼の名前が耳に入る。私もそのようになりたいと思った。

4時間ほど過ごした。時間は夜の11時半を回っていた。席を立つ前、私の前に船の模型がいきなり置かれた。木をつかって、がっちりと作ってある見事な模型だ。よくよく見てみると、船には「KUDO」と名前が書いてある。「This is my name!(私の名前だ)」と私は喜んだ。生徒は「私の故郷で作ってある模型です」と言った。もうひとつの包みが渡された、キプロスに伝統的に残されている刺繍の額だった。

北キプロスを出る前に、最高の思い出が出来た。北キプロスの軍人たちにもてなされたことは忘れられない。私がここに来た意味は多いにあった。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2006-06-07 16:16 | 北キプロス紀行