工藤浩司オピニオン 公式ブログ


世界を飛び回る日本人   工藤浩司のオピニオン  
by kudo_koji_blog
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≪PROFILE≫
工藤 浩司 (くどう こうじ)
1971年青森県十和田市生まれ。

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<   2006年 04月 ( 6 )   > この月の画像一覧


0点続出の私のテストのゆくえ

先日、国際法のテストをした。採点して生徒の半分が0点という結果になった。理由はなぜか。私はインターネットや本のコピー問題を受け付けないからである。

私が行ったこと。答案を段落ごとにチェックして、すべてどこからのコピーか調べ、インターネットのアドレスも付けて、追求する。最初のうちは、婉曲的にやわらかく、追及していたが、言い逃れをするので、私は証拠をつかんでから追求することにした。

コピーかどうか見破るのは割と簡単になる。文章のレベルをみれば一目瞭然。博士論文以上のレベルであれば、まずコピーとみて間違いはない。

2つほど、追求できなくて、証拠が出せず、残っていた答案があった。どこからかと思っていたら、私のイギリスでの監督者の本「international law」からのコピーだった。これで、すべて証拠は出揃ったことになる。

これで問題が出たかというと、そうではない。「コピーをしたら、cheating(カンニング)と見なす」と問題用紙に書いたのだから、誰も文句を言ってこない。その後、私に寄せられた意見は「再テストを受けさせてほしい」というだけだ。

先日、国際関係学部長と話をした。「君のことは聞いているよ。生徒はいい経験をしている。ヨルダン人テロリストがイギリスの飛行機を爆破した・・・なんて問題をつくるなんて、おもしろい」

私のテストは仮説問題だ。教科書を写せば答えになるような問題はない。正しさではなくて、もっと思考力がほしい。そのメッセージは生徒に伝わっただろうか。
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by kudo_koji_blog | 2006-04-28 20:48 | 社会

人生は環境によって左右される!

キプロスに来て、ふと気づいたことがある。自分が人生をコントロールしているという感覚が薄くなってきているということだ。人生をコントロールしているという感覚は、自分のやりたいことがやりたいようにできているか、ということを判断基準とする。

一昔前までは、日本人が保守的だという理由のひとつに環境があった。農耕民族で、しかも、比較的厳しい気候のもとで作物をそだてる日本人には、厳しい天候がもとで、作物が台無しになったたとき「しょうがない」ということしか、考えられなかった。

その日本人の環境は今は、昔とがらりと変わってきている。暑い夏にはクーラー。寒い冬にはストーブ。作物も温室栽培技術などで、作物を不要にだめにすることもなくなってきた。24時間インターネットができ、どこでも24時間ものが買え、「しょうがない」という思いを抱かなくてもすむようになってきた。

だが、北キプロスに来ると「しょうがない」という感覚が育っているのに気づいた。1週間に1度はやってくる停電。多いときで、1日に2度も3度も来る。その度に、私の予定が変更されてしまう。妻の家事も同じだ。シャワーを浴びたいというのに浴びれないことほど、不快なものはない。勉強しようと思ったときに、明かりがなくて勉強できないほどこそつらいものはない。自分ではコントロールできないのだ。

妻は、「私たちは第三国に来ているのよ」とふと言ったことがあるが、この感覚はそこから来るのかもしれない。

キプロスに住む人たちはそんな停電や厳しい天候にもあっけらかんとして和やかだ。停電がくれば、ロウソクに火をともし、一家の団欒をする。外にランタンをもってきて、皆で紅茶を飲みながら、語り合う。厳しい天候で育たないものなど、育てなければよいのだし、ホテル経営やレストランなど他の産業に頼ればよい。

自分の人生をコントロールしていくには周りをコントロールできる環境にいなければならない、とそう感じている。自分が充実して人生を過ごしていない時、その環境を疑ってみるのもひとつの突破口になるかもしれない。私は、あと1ヶ月半でこの島を出ることにした。
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by kudo_koji_blog | 2006-04-24 14:59 | 社会

タバコに落ち着く効果はあるのだろうか?

タバコの弊害は科学的な議論はたくさんあるのだが、ここでは精神的な弊害の可能性について考えてみたい。

タバコの効用ということで、よく言われるのが、精神的に落ち着くということ。自分がタバコを吸いながら、深呼吸をし、ゆっくりゆらめくタバコの煙を見ていると、本当に落ち着くというもの。体験者がよく言うのだから、そういう効果はあるのかもしれない。

先日、ここキプロスの大学で、憲法のテストの監督をした。20人ほどの教室で2時間半ほどのテストを行ったのだが、途中で席を立った7~8人の学生は、皆、喫煙者で、外にタバコを吸いに行っていた。他の生徒はそのまま続けて試験を受けていた。

もちろん半数以上がタバコを吸うような中では、これだけの事実で結論を出すのは難しい。また、本当に他の人以上に、落ち着いたり、気分転換ができるのかもしれない。個人的には、そそくさとタバコの箱とライターを試験中に持って、外へいく生徒を見ていて、少し不安になった。

タバコを吸う人々がそれで落ち着くというのは否定はしない。だが、もしかして、喫煙者はそれがなくては落ち着かないような状況になっているのではないか、という感じもしている。落ち着くためにタバコを吸わなければならない、という状況になってしまうのではないか。
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by kudo_koji_blog | 2006-04-21 21:36 | 社会

国際法が使えないと思う人へ

今学期に入ってから、国際法を法学の生徒や研究生だけでなく、国際関係学の生徒や研究生に教えるようになった。法律を学ぶ生徒からは予想もつかないような質問がやってくるので、国際関係を学ぶ人たちへ教えるのはとりわけ面白い。

その中で、ひとつ困ったことがある。国際関係学を学んでいる人たちの中にある程度共通して見られる態度は、「国際法は使えない」というものである。個人の意見なので、本来ならば否定しなくてもよいのだが、国際法を教える限りそこは否定しては授業への信頼がなくなってしまう。ここはうまく反論し、しかも、彼らの信頼を奪回する必要がある。

国際法を否定する人たちの多くは力の政治をあげる。特に近年のアメリカの出来事である。アメリカがイラクを侵略して、それでも何も国際社会が出来ないのはなぜか、という点である。

まず、国際法がイラク戦争で活躍できていない、というのは事実だろう。国連の安全保障理事会が武力行使に対しての決議を決定できなかったので、アメリカの行為を国際的に正当化するのは難しい作業になる。

ただ、このような事実だけで国際法の可否を語るのは早急だと私は考えている。第二次大戦のころに比べれば、国際法の実効力は数倍あがっている。国際裁判が、当たり前になったことでも、分かるし、人権の概念の定着もそのひとつである。国を超えて人権の概念を定着させようとしているのが欧州人権裁判所。今の国際法の地位は一昔前に比べてはるかに高くなっている。

「国際法を使う」ということで考えてみると、国際法を一番研究しているのはアメリカ人である。大学でも、政治学で国際法は必須のものとして扱われているし、ロースクールでも大切に扱われる。勉強しているのだから、使えるのは当たり前だ。試験は現実的な問題を取り扱う。国際法の教授は大統領へのアドバイザーだったりもする。それだけアメリカで国際法は現実と密着している。

逆に、「国際法が使えない」という人たちはどうか。われわれは本当に国際法を知っているのだろうか。知らないがために、知っている国々にしてやられている、というのが本音ではないだろうか。

アメリカ人が国際法を正当化に使っているという見方はもちろん可能だが、国の利益のために国際法を使っていくのは当たり前のことだ。国際法が自国の利益を守るために使われるのは当然のこととして理解されている。それを主権という。主権を守るのは国家の当然の権利であるし、国際的に認められている。日本も国際法を知らなければならない。
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by kudo_koji_blog | 2006-04-14 16:20 | 国際

とある生徒からの苦情を考える

先日、修士課程の国際法の授業をしていて、生徒の一人から苦情を言われた。「Aさんが授業で発言しすぎて混乱して迷惑しています」それを聞いた私は、「わかりました。できるだけあなたにも当てるようにするから、意見があったら合図してください」と言った。ところが、彼女は「いいえ、私の発言の問題ではないのです。無関係な彼の発言で授業が混乱してめちゃくちゃになるのがいやなのです」と言った。

ここで問題は二つあると思っている。まず、私の授業のやり方。私は生徒にできるだけ多く発言してほしい、と思っているので、発言があった場合よほどのことでない限り、止めない。それが長い場合、区切ることはあるが、さらに発言があった場合、新しい視点や論点に対してコメントを加える。逆に、発言しない人への配慮は説明の中で分かりやすくするしかなくなってしまう。

だから、一人の人間が多く発言し、コメントが多岐に渡る場合には、それらの質問中心に授業が回っていくことになる。授業は同じテーマでも毎回違う。それが議論中心の授業の醍醐味でもあるし、それでいいと思っている。

もうひとつの問題は発言ばかりする生徒Aの方ではなく、苦情を言ってきた生徒の方にあると思っている。修士課程の授業では、学部のようにspoon-fed (過保護な)授業をしない。知識の体系的な説明は自分で学ぶのが前提と言っても過言ではない。修士課程の授業は議論そのものだ。だから、一方通行的な学部のような授業を期待している生徒は、落胆することになる。

一方、発言ばかりする人間に問題はないか、というと私は特に問題はないと思っている。確かに、彼の発言は脱線するが、それはそれで面白い視点があり、私のためにもなるし、皆のためにもなっている。多少の脱線をいちいち注意していては、生き生きとした授業は望めない。

しかも、彼らはお金を自分で払って授業を受けているのだから、特に授業を混乱させようなどと考えている場合以外は、まったく当然の権利を行使しているにすぎない。

ワシントン大学で私が修士課程の生徒だったとき、韓国人の友人が「浩司、あまり発言しないでくれよ。教授たちが、留学生が授業をよく理解し発言できるレベルにあると思ってしまうじゃないか? 僕らは当てられたら恥ずかしいんだ」と言ってきたことがある。私は「いいじゃないか。僕が自分で金を払っているのだから、僕には学ぶ権利がある。当然の権利を行使しているだけだよ。恥ずかしい!? 俺は気にしないね」と言ったら、彼も、「そうだな。君の言うことが正しいよ」ということになった。

だから、今回の事件で考えたことは、よく発言する生徒とそうでない生徒のバランスをとるということが必要だと感じた。さらに、説明する場合、発言者に対して返事をするよりも、周りの人に対して答えていくような説明がいいのだと思う。苦情を言ってきた生徒に関しては現段階では何もせずしばらく長い目で見たほうがよいと判断して少し様子を見ようと思っている。過保護な授業を期待している人間を変えるのは相当な努力が必要だろう。
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by kudo_koji_blog | 2006-04-06 19:12 | 社会

キプロス出国の予定

この夏で、ギルネ・アメリカン大学の上級講師の職を辞めることにしました。その後はイギリスへ戻る予定となっています。詳しいことはのちほどブログに載せたいと思っています。
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by kudo_koji_blog | 2006-04-04 21:33 | 最新ニュース