工藤浩司オピニオン 公式ブログ


世界を飛び回る日本人   工藤浩司のオピニオン  
by kudo_koji_blog
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≪PROFILE≫
工藤 浩司 (くどう こうじ)
1971年青森県十和田市生まれ。

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<   2005年 09月 ( 9 )   > この月の画像一覧


勝負を先送りにする人、しない人 No.2

物事を金銭でしか考えられない人は言う。「今ぐらいの時期に、独立していればよかったですね。将来の予測を間違っていたのですよ」と。だが、勝負を先延ばしにする人にはなかなか幸運が訪れないことも多い。いつまでたっても「もう少し準備したい・・・」と言う。

スポーツ評論家の二宮清純氏は日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンのことをこう紹介している。Jリーグ創設間もない頃、川淵氏は二宮氏にこう語ったという。「時期尚早という者は100年たっても時期尚早という。前例がないという者は200年たっても前例がないという」。

(つづく)
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by kudo_koji_blog | 2005-09-15 00:43 | 人生

勝負を先送りにする人、しない人 No.1

31歳という若さで独立して治療院をひらいた友人がいる。治療院の建設費用はが当時4000万円。ローンを組んで買ったらしい。デフレの影響で、今は2500万円ほどでできてしまうといって、私の前で笑っていた。開業してから、ずいぶんとたったのだが、やっと残金が2500万にとどくかどうか、ということを言っていた。

開業したのは7年前で、今は、38歳で、押しも押されぬ有名治療院になった。毎日たくさんの患者さんが訪れる。これだけのものを作るのは並大抵のことではなかっただろう。

私は、これを聞いてすかさず思ったのだが、誇ってよいと思う。当時、勝負していたからこそ、今は、何があっても対処できる経営力と治療技術、そして自信がついたのだろう。人の下でいつまでも働いていては、本当の自信は身につかない。本人が、その怖さに気付いていたのかどうかは、分からないが、早々勝負にでることのできたこの人は、勇気があると本当に思う。

(つづく)
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by kudo_koji_blog | 2005-09-13 02:39 | 人生

イギリスに戻りました

9月10日にイギリスに戻りました。日本にいたのが短かったので、日本の時差よりもイギリスの時差にまだ身体が慣れています。
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by kudo_koji_blog | 2005-09-11 10:56 | 最新ニュース

イギリスへ帰国します

9月9日、朝。日本を発ちます。今回は短いながらもたいへん充実した20日間でした。友人と会い、交流を深め、自分が日本にいるという意味を考えました。また、海外に戻り、その感覚を海外での生活に転化させたいと思っています。
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by kudo_koji_blog | 2005-09-08 23:27 | 最新ニュース

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by kudo_koji_blog | 2005-09-06 04:27 | 最新ニュース

太宰治の生家をたずねて No.3

敢えて勝負をしなくても、問題がなかった太宰治。そういうところから、文学者としての地位を確立した。とにかく何かをしなければならなかった野口。鬼気迫るほどの貪欲さと努力で、地位を確立した。

どちらがよいのだろうか。いや、どちらが魅力的な生き方だろうか。私は野口の生き方をとる。そこにはhunger(飢え)がつき動かす前向きな姿勢があるからだ。どうせ倒れるのなら前のめりに倒れたいと言った坂本竜馬と同じである。同じものを見、同じものを聞く。飢えているものは感性がとぎすまされている。そこには別世界があるのだろう。太宰は、裕福であっても内面的に別な形で苦悩を作り出し、その狭間で創造をつづけたというところが、実情だったのではないだろうか。

全くの楽な生活からは創造はできない。それはギリギリのところでのみ創造が生まれると言った、建築家安藤忠雄氏にも通じるところがある。ギリギリのところで勝負をし続けた野口のほうが私には魅力的な生き方に見える。

(おわり)
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by kudo_koji_blog | 2005-09-05 06:05 | 社会

太宰の生家をたずねて No.2

太宰と野口の共通点は大量生産にある。野口は短い生涯での論文発表数は204本という。太宰も、随筆・評論を除いて、連作ものを各1作とすると141本に上る。小説家としては実に多い。

裕福な家からすぐに想像できるように、一見楽な人生に見えるのだが、太宰の生き方というのも、決して、安楽な日々ではなく、孤独と苦悩の日々であったようだ。4度に及ぶ自殺未遂を起こし、この世から消え去ろうとしていた。最終的には自殺でこの世を去っている。文学者の心の苦悩など、私には想像もできないものなのだが、自分を徹底して、自分の目的を肯定していく野口英世の生き方を考えると、自己否定をし続ける太宰の生き方は、私には繊細すぎる。

学問をするということにおいて、たくさんのハードルを越えなければならなかった野口英世。生涯において、一度も家事などすることがなかったという太宰治。その違いは雲泥の差である。そんないわゆる恵まれた環境で、小説の構想を「金の卵を抱いている」ように暖め続けた。それが太宰の生活だった。そして、豪邸からは想像もつかない苦悩の日々を送り、最後には自殺でこの世を去った。極端なまでの挑戦の末、黄熱病の研究をしつつ、不覚にもその病魔に冒されてこの世をさった野口とは正反対の結末である。

(つづく)
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by kudo_koji_blog | 2005-09-04 07:30 | 社会

太宰の生家をたずねて No.1

8月末に太宰治の生家を訪れた。太宰治の生家は津島家といい、青森県内屈指の資産家の家だった。その豪華な雰囲気は今でも変わらない。父親が建てたこの家は、600坪の宅地に1階11室154坪2階8室、100坪で、言わずとしれた豪邸である。外観よりも、実際の中身のほうが、豪華である。中にかけられた掛け軸や絵はどこかで聞いたことのある人のものばかり。太宰の家が裕福だったことの証拠である。

反対に野口英世の家は極貧の家だった。囲炉裏と屋根と床しかないようなところで野口は育ち、成長した。極貧中の極貧であって、財産などといえるものは何もなかった。

作家というものは、ある程度、自由な発想ができないと創造することはできないものだ。金銭的、時間的な余裕のある太宰治のほうが環境に恵まれていたと予測するのは容易である。学問ということ意外に、考えなければならない問題がたくさんあった野口には創造していく余裕はあまりなかったということが言える。
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by kudo_koji_blog | 2005-09-04 07:28 | 社会

青森から東京に戻りました

本日、青森から東京に戻りました。3泊4日のスケジュールで十和田の実家に帰って両親と会ってきました。ひさしぶりにねぶたや津軽塗りのルーツを知ることができ、新しい発見ができました。今回の帰省で学んだことは近日中にエッセイとして載せる予定です。
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by kudo_koji_blog | 2005-09-01 21:19 | 最新ニュース