工藤浩司オピニオン 公式ブログ


世界を飛び回る日本人   工藤浩司のオピニオン  
by kudo_koji_blog
カテゴリ
《プロフィール&連絡先》
《連絡・相談・質問》

dgdfk247 @ ybb.ne.jp まで。

≪PROFILE≫
工藤 浩司 (くどう こうじ)
1971年青森県十和田市生まれ。

<応援ホームページ>
トータル・ケア・カウンセリング
http://stresscare.exblog.jp/
フォロー中のブログ
検索
ライフログ
以前の記事
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

<   2005年 07月 ( 20 )   > この月の画像一覧


恥ずかしさを克服するために

アメリカのロースクールで、アメリカ人をはじめ、他の留学生も観察して、気づいたことは、「恥ずかしい」と感じる思いは誰にでもあるということだ。失敗したら、日本人同様、赤面する。自分が発表するときは、顔が真っ赤になり、声はかすれ、手は震え、汗は額から流れ落ちる。それは日本人に限らず誰にでもあるようだ。

日本人との違いは何か? 日本人は、そこで、「みんなの前で失敗した」とか、「もう恥ずかしくてそこには行けない」と永遠に思い、その人の行為を束縛してしまうことだ。

アメリカ人なども失敗すれば、恥ずかしいとは言うことは言うのだが、案外あっけらかんとしているように感じられる。それでも、また、挙手をして、挑戦してくるのだから、見上げたものだ。

私は、この行動の根底には、アメリカ人独自のプラグマティズム(実用主義)があるのかもしれない、と考えている。ここでいうプラグマティズムとは、物事を現実的に推し進めようという考えだ。つまり、これだけ高い授業料を払ってきたのだから、元を取らなければだめだ、という考えを持っているということだ。アメリカのロースクールやMBAの授業料は、私立であれば、1年間で、300万円を超える。この「これだけ高い授業料を払ってきたのだから、元を取らなければだめだ」という思想こそがアメリカ人を奮い立たせているのではなかろうか? 

また、もう一つ考えられるのは、アメリカ人の場合、日本人同様に恥の観念があっても、それは善悪の判断にまでは影響しないことだ。

「宗教からよむ「アメリカ」、森孝一(著)講談社選書メチエ」の著者森孝一氏によれば、アメリカ人の宗教の内訳は、プロテスタントが50数%、カトリックが20数%、東方正教会2%前後、ユダヤ教2%、イスラム教1%以下、と一神教が合計8割以上を占める。一神教においては、善悪の価値判断が自分の中にではなく、外(聖書などの聖典)に基準があるため、自分の感覚が善悪判断にまで影響することは極めて少ないのではないか、というのが私の意見である。

翻って、日本人は、行動を起こす前に「失敗したらどうしよう」とか、「みんなの前だと恥ずかしい」という思いが先立ち、結局は、実力が思うように出せないように思われる。

「恥ずかしい」と思った瞬間に、自分に尋ねてほしい。「誰にとっての恥なのか?」「実際に失敗してどうなるというのか?」と。自分だけが恥ずかしいのではないのだ。アメリカ人も恥ずかしいのだ。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-07-31 15:32 | 議論

それでも偉大なシンガー レイ・チャールズ・・・映画「レイ」

イギリスでDVDになったばかりのレイ・チャールズを観た。レイ・チャールズと言えば、20代や30代の人はなじみがないかもしれないが、アメリカのブラック・ミュージック、やソウルにもっとも影響を与えたうちの一人である。

私は80年代のアフリカ救済のために作ったUSA for Africa というバンドで果敢に「We are the world.」を歌っているレイ・チャールズが記憶に残っている。

レイ・チャールズの生涯は苦悩の連続だった。弟が死んでしまうのを目前に何もできなかった。母親が小さい頃に亡くなった。目が見えなくなった。誰も助ける人はいなかった。黒人ということで差別された。そんな絶望の状態から、音楽だけを頼りに生きたのがレイ・チャールズだった。

映画を観れば分かるが、ずいぶんと汚れたことにも手を染めていた。麻薬、浮気・・・。弟を見殺しにしてしまったことが心の傷となり、ずっと悩んでいたレイ。

映画の終わりにレイ・チャールズのその後が語られる。「黒人と白人を一緒にしなければ歌は歌わない」とコンサートを中止したレイ・チャールズは、その後ジョージア州から、責任を問われる。そして「ジョージア州に一歩も来てはならない」とまで言われる。時がたってジョージア州から正式な謝罪と州歌として「ジョージア・オン・マイ・マインド」を採用したい、という見解を受け入れる。まさに、正義の勝利と言える。その後、40年、彼は2004年に亡くなるまで、歌い続けた。

どこかの批評家が「レイ」を見れば、目の不自由さは、彼の成功にとって障害にならなかった、ということを言っていたが、そんなことはないと思う。彼はそこまでたどり着くまでに、たくさんの辛苦をなめつくした。

ただ、目が見えなくなることによって、恐ろしく研ぎ澄まされた耳の感覚は常人では想像もできないところの音やリズムを聞いていたに違いない。

そんな彼の人生を支えたものは何だったのか。そんな彼を支えたのは、どこまでもついていく妻と「自分で強く生きなさい」と教える気丈な母親だった。

この映画を一緒に観ていた親友がこう言った。「All is well that ends well. (終わりよければすべて良し)」

道の途中でたくさんの寄り道をしたレイ・チャールズだが、その苦悩とは裏腹にきれいな最後だったのではないだろうか。

この映画を観て、彼の才能ということよりも、人間として彼の人生を考えてみたい。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-07-30 00:45 | おすすめ

海外旅行は一人旅を!

国際観光振興会(JNTO)によれば、2001年に海外旅行した日本人の数は、16,216,000人である。概算すれば10人に1人ということになるだろうか。

 しかし、問題は、それが、外国の文化を知るための本格的な一人旅であるか、それとも観光やショッピングが目的の単なるパッケージツアーなのか、どうかということだ。パッケージツアーは安く、手間がかからず、安全に行けるという利点はあるが、文化を学んだり、国際コミュニケーションをするにはほとんどその効果がない。中には、個人でわざわざ仲間を集めて、集団旅行をする方々もいるようだが、国際コミュニケーションをしにいくのであれば、ぜひ、止めてほしい。日本社会をそのまま海外に持っていくだけでは、本当の国際コミュニケーションにはならないからだ。

 その点、一人旅は、波乱万丈だ。何が起こるか分からない。スケジュールにも追われない。その代わり、さまざまな出会いやコミュニケーションが待っているのだ。安全という点では、かなり問題があるので、すべての人には勧められないが、場所さえ悪いところでなければ、ぜひ、海外の一人旅をお勧めしたい。

 私は、2002年、アメリカのワシントンD.C.を1週間ほど見てきたが、すばらしいの一言に尽きた。8年ぶりぐらいで、古きアメリカ人の友人を訪ねていったのだが、歓迎してもらい、他の友人まで紹介してもらい、楽しい時を過ごすことができた。スミソニアン博物館、ワシントン・モニュメント、ホロコースト博物館、アーリントン墓地、ペンタゴンなど、国際法や国際関係、アメリカの政治を考える新たな発見になった。

 自分のスケジュールなど考えずに、自分の思うが侭に旅をする。2時間以上もアーリントン墓地を歩き続け、それでも、アメリカのすべての戦死者の墓標を見ることができなかった時、アメリカの抱えてきた苦悩に愕然とし、立ち竦んだ。

 入念なチェックをされて、ワシントン・モニュメントに上って小さなホワイトハウスを見たとき、9月11日にテロを起こした人間たちの心境を垣間見た気がした。

 スミソニアン博物館で、原爆の被害者の写真がたったの3枚しかないのを知ったとき、アメリカにおける影の政治力の大きさを感じ、世界が進歩できない理由がそこにあるのを感じた。

そんな体験ができるのも、一人旅だからだ。考えたいときは立ち止まって考える。集合時間などないほうがいい。しかし、安全の面は十分警戒してほしい。場所によっては言語道断のところもあるので要注意だ。それ以外の面においては、海外一人旅は、自分が学び、かつ、楽しむのには絶好の機会になる。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-07-28 15:48 | 国際

無実の男を射殺したイギリス警察

ロンドンで、2005年7月7日のテロに続いて、テロが22日起きた。その後、警察は、一人の男を22日に、追跡し、「逃げた」という理由で、電車内に駆け込んだところを射殺した。男の名はJean Charles de Menezesブラジル国籍だ。

ところが、7月23日になって、ロンドン警視庁は「警察当局が地下鉄ストックウェル駅で射殺した男性は、21日の爆破事件とは関係がない」との声明を発表したという。

彼は事件とは無関係の普通の人だったのである。

実は、7月24日のBBCのラジオで、射殺された男性の友人が生出演していた。つたない英語で、「彼が逃げたというのは信じられない。その理由がない」という。射殺された彼は、電気工事師で、警察にも悪いイメージを抱いていなかったというのだ。2週間ほど前、警察に止められたことがあった。2つの大きなバッグを持っていたからだ。彼は喜んでカバンを開けて見せて、それに協力したという。

射殺された彼はイギリス人ではない。イギリスに3年滞在しているブラジル人だ。英語は外国語だ。ラジオの友人に言わせれば、彼より英語はうまいそうなので、英語が分からない、というのはありえないという。

では、その友人はどう理解しているのか、というと、「彼はただ単に声が聞こえなかったのではないか?」と言っていた。これもありえる話だ。地下鉄の中など、ノイズで一杯だ。そのような中での誤認逮捕だ。

イギリスでは不安が高まっている。アジア系(インド・パキスタン系、アラブ系など)の人々は自分たちに、憎悪の矛先が向くことを恐れ始めた。イギリス人たちは、安全が確保されなくなったことに対して、疑心暗鬼になっている。

問題は深い。彼が逃げたのであれば、警察はその後のテロを避けるためにも、その人間を捕まえる必要がある。逮捕した警官たちも、自爆テロかもしれない、という思いから、必死だったに違いない。その状況にもよるが、何が何でもとめる必要があったのかもしれない。その人が本当に自爆犯であれば、その周りにいる人数十人が犠牲になる可能性はあったからだ。

公の安全を守るという警察の目的。無実の人を守るという目的が、ぶつかりあってしまった、悲惨な事故だ。今後は慎重な捜査を望む。それで、公の安全が守られなくなる可能性は大きくなるということは意識すべきだろう。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-07-24 15:58 | 国際

私たちは生きるための価値を持っているか?

 最近、人と話をしても面白くないと感じることが多くなった。それはなぜだろうか。人間が、生きる価値を持たなくなったからである。資本主義社会に生きる人間たちの運命なのかもしれないが、人間が、金、異性、セックスだけに生きるようになったからだろう。そんな人間たちに魅力はない。名誉はどこに行ったのか? プライドはどこに行ったのか? 貢献という言葉は死んでしまったのか? そういう疑問が頭を突き抜ける。

 私がはじめて自分の生き方の哲学を意識したのは大学を出て、会社に入ってからだ。私は松本ディベート研究所で秘書・ディベート講師として約3年弱ほど過ごした。ここで私は楽しいことも、いやなこともすべて経験した。ある人は「工藤さんは、サラリーマンが30年ぐらいかけて経験することを3年で経験した」と言ったことがあるが、まさにそのような感想がいちばんよくあっているように自分でも思う。

 さて、哲学。実はこの言葉、私にとっては「生き方」とか「人生の指針」ではなかった。ディベートという討論の手法の用語の1つだったのである。

 ディベートでは立論(最初のスピーチ)の主要な形式として、ストック・イシュー型というのがある。これは現状に問題があるという前提のもとにスピーチを組み立てるやり方だ。たとえば、問題点―その重大性―その原因―プラン-効果という流れをたどる。そこで、重要なのはその議論の一貫性を通すことだ。

 その軸となるのが、「哲学」だ。別なことばでいえば、指針とか目標、あるいは核となる価値観だろう。「哲学」はわかりやすいものでなければならない。わかりやすいということは短ければ短いほどよいということでもある。

 「哲学」。なぜ、このような発想がでてきたか。もともとこの発想は日本のディベート界の第一人者・松本道弘氏によって導入されたものだ。理由は、日本人は哲学をなくすと一貫性のある議論ができなくなる、というのがその趣旨といって間違いないだろう。

 逆にいえば、一貫性のある議論ができていれば、そのような指針となる価値は提示しなくてもよい。だが、通常、こちら側も相手側も議論しやすくするために、提示するのが日本ではいいだろう。

 ところでこの「哲学」という言葉。こういうように説明してくると、議論のための軸という視点だから、人生哲学とは異なっているし、そういうように私も今まで説明してきた。

 だが、ここにきてやっとそういう意味が見えてきたような気がする。外国人とたくさんコミュニケーションして見えてくるものは相手の価値観以外にほかならず、こちらが対抗していくための重要なものはこちらの価値観である。

 いうなればコミュニケーションにおいては価値観のぶつかりあいなのだ。だから、イスラム教徒の人々やアフリカ諸国の人々と話をすれば、彼らとあなたの価値観が激突することになるわけだ。 

 そこで見えてくるのは、自分がもつ根本価値であり、それは自分たちが生活してきた基盤であり、それは一環しているものだ。それはまさに、それぞれの人生哲学といってもいいのではないか。

 何かをあなたがするときに、一番大切なこと。それは「なぜ、あなたがそれをするか」であり、それは「それをしたらどうなるか」の裏返しだ。「なぜ、あなたがそれをやるか」というのを人生のレベルで考えてみると、それはあなたの生きる指針であり、人生哲学である。英語で、「He is a man of principle. (彼は主義を曲げない男だ)」「She is a principled person.(彼女は主義に忠実な人だ)」と言ったら、それは、生きる哲学があるという意味でもあるし、議論の軸が崩れないという意味でもあるだろう。「哲学」というのは生きる人生哲学と同じではないだろうか。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-07-23 05:59 | 人生

過去の栄光と今に生きる勝負師

 三浦知良選手が、J1ヴィッセル神戸からJ2横浜FCへの移籍をしたという。90年代にはサッカーと言えば三浦知良と言ったものだが、最近は国際大会の代表はおろか、マスコミではほとんど聞かなくなっていた。

 私にとってサッカーは全くの素人であり、何も知らないのであるが、彼のコメントが気に入った。「代表への思いは捨ててはいない~原点に戻ってがんばりたいと思う」

 三浦知良選手は一時はたくさんの栄光を勝ち取ったのであろうが、今は、38歳ということもあり、今の地で勝負することになったのだろう。そこまでサッカーにこだわるということは、本当にサッカーが好きなのだろう。

 こういう人生はみじめだろうか? 私はそうは思わない。体力的には衰えはあるのかもしれないが、知識もあり、経験もある。人間的にはきっと深みがあって面白いに違いない。私が話をするのであれば、彼のような男と話をしてみたい。教わることは多いはずだ。

 もしかしたら、新しいチームで、彼の知識や経験が生きるということもある。そこにJ2横浜FCの意図があるのだと思う。

 人間、特に、栄光をおさめた人は案外弱いもので、その後は過去の栄光にすがったり、果ては、腐ってしまうことも多いのだが、彼はそうではないのだ。現在に生きる狼だろう。

 過去の財産で食いつぶす人生よりも、今に生きる勝負師のほうが、輝いている。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-07-22 07:05 | 人生

片道切符を選ばなかったテロリストたち

 2005年7月7日のロンドンのテロ。4人の犯人たちは往復切符を買っていた。これによって、各国メディアは「スイッチを押して逃げろ。逃げる時間はある」と首謀者にだまされた可能性は高い、という。

 確かに、そうかもしれない。テロリストは片道切符を買うというのは、ある程度共通した見方である。だから、確かにその可能性は高い。イギリスで片道切符を買うというのはよほどのことがない限りしない。割高になってしまうからだ。往復と片道の切符の値段がさほど変わらないほどなのである。1ヶ月以上帰らないような予定の場合にだけ、片道切符が選ばれる。

 爆発物にタイマーがあったという証拠はまだないので、確証はないので、推測の域の話でしかない。

 だが、そうであれば、4人のテロリストは熱心なイスラム教徒でも、過激信者でもないことになる。イスラム教徒は善行をして死ねば、必ず楽園に迎えられる、というのがその信条だ。だから、躊躇はしなかっただろう。片道切符を買って死んだことだろう。そういうところからみても、対した知識もない人間をだまして、行動させたというのが正しい見方なのだろう。

 実際に何人かのイスラム教徒に聞いてみると、テロを行なっている人間たちというのは、中等教育なども受けていない人間たちが多いという。ヨルダン出身のザルカウィも、そういう経歴だ。だから、過激なテロリズムにすっぽりと嵌ってしまう。

 私は日本人がイラクでつかまる度に、詳しい人間に聞いてみた。「今回の日本人は助かると思うか?」答えは必ず「つかまった人による」というものだ。ザルカウィの名前を出したとたん、「I'm sorry, Koji」と言われた。言葉で話して分かる相手ではない、ということだ。

 本来のイスラム教では、先制攻撃はない。あるのは自衛行為のみだ。問題がひとつ。ジハード(聖戦)の場合だ。聖戦は何があっても戦うというのがその根本だ。それで死んでも、悔やむことはない。聖戦とは何か。異教徒との戦いである。対キリスト教、対ユダヤ教。今回のテロリストの頭の中に、歪んだ聖戦意識がある可能性は確かにある。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-07-21 00:37 | 国際

MI5の失態とテロリストの判定

7月7日のロンドンのテロで、イギリスでは4人が逮捕され、パキスタンでも、逮捕者が出ている。イギリスでの逮捕者は、イギリス生まれのパキスタン人が3人であるが、一人はジャマイカ出身ということが今のところ分かっている。

そのうち、一人はイギリスで逮捕されたうちの一人で、名前はMohammed Sidique Khan は昨年、MI5(諜報機関)の危険人物のリストに入っていたが、「直接的な関係はない」と判断され、監視対象からはずされてしまっていた。MI5の諜報能力に疑問符がつけられると共に、危険度の判定にも問題があるだろう。

ただ、この問題は簡単ではない。現代社会が持つ「疑わしきは罰せず」の原則の流れを受け、民主主義社会では、証拠がない限り、逮捕することはできない。それが、20世紀の人類の知恵である。今回のMI5のミスで、その原則が変わることは許されないだろう。一つのケースだけで、その原則を変えることは、今後たくさんの犠牲者を作ることになりかねない。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-07-17 19:49 | 国際

悪い民主主義と良い独裁政権

先日、アラブ諸国から来た学生と政治のあり方の話をした。彼は、「僕は独裁政権が悪いとは思わない。世の中には良い独裁政権と悪い独裁政権がある。僕は良い独裁政権がいいと思うね」と言った。

面白いのだが、民主主義だからといって、人々が幸せになるとは限らない。理論的に言えば、民主主義は手段なのだから、結果的に民衆が幸せになることもあれば、不幸せになることもある。手段は結果は保証してくれない。独裁政権の下でも同じである。良い独裁政権もあれば、悪い独裁政権もある。だから、彼の言うことに一理あるのだ。

私は面白いので、「では、具体的に、良い独裁者は誰か?」と言ったら、(公にできないが)とある政治家の名前を挙げた。そして、次に「では、悪い独裁者は誰か?」と聞いたら、「キム」だった。「キム」とは北朝鮮のキム・ジョンイルのことだった。私は思わず吹きだしてしまった。

アラブ諸国の学生から見れば、イギリスの民主主義など失敗していると映るのかもしれない。失業、高い税金、若者の暴力、性の氾濫・・・など数えあげればキリがない。

もし、比べる機会があれば、良い独裁政権と悪い民主主義を比べてみてほしい。どちらがいいだろうか。

民主主義の本当の良さというのは結果ではない。「自分たちで決める」というプロセスにあるのだ。悪い結果が生まれても、「自分たちが選んだのだ」という確信をもって、不幸せを享受できる。その意味をわからなければ、民主主義は結果論で、独裁政権に負けてしまうのだ。アラブの学生との議論で、民主主義の本質を考えさせられた。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-07-14 16:33 | 国際

応援することと批判すること

 友人には二つのタイプがある。一つは、徹底的に批判するほうと、もう一つは応援してやること。私は後者のほうだ。

 結局、人生は自分の決断で道を選び、そして、責任を取っていく。それによって、良いこともあるだろうし、悪いこともあるだろう。その人の取る行為が、違法でもない限り、その人の人生を左右することはできない。聞かれもしない限り、相手の行く道をむげに否定したくはない。

 私は思う。友人としてできることは、応援してやること、そして、尋ねられたらできるだけことをしてやること。批判だけをして、できることをしないのは友人としては失格だと思う。

 一見、持ち前の頭で、輝かしい意見を言うことの方が、良いようにも思われる。相手の夢がバカバカしいように思える時もある。だからこそ、その人はあなたの目の前にやってきたのだ。その時こそ、応援してみようではないか。「相手のことを考えている」というのならば、尋ねられた時に、できることをすればよいのだ。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-07-14 05:29 | 人生