工藤浩司オピニオン 公式ブログ


世界を飛び回る日本人   工藤浩司のオピニオン  
by kudo_koji_blog
カテゴリ
《プロフィール&連絡先》
《連絡・相談・質問》

dgdfk247 @ ybb.ne.jp まで。

≪PROFILE≫
工藤 浩司 (くどう こうじ)
1971年青森県十和田市生まれ。

<応援ホームページ>
トータル・ケア・カウンセリング
http://stresscare.exblog.jp/
フォロー中のブログ
検索
ライフログ
以前の記事
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

<   2005年 06月 ( 21 )   > この月の画像一覧


それでも日本人が人気がある理由

私はかなり長い間、日本人嫌いだった。1日24時間、日本の会社であくせくと自分をささげてでっち奉公し、その結果が自分に何にもなかったという思いからだろう。また、そこでみたのは、足を引っ張り合うしか脳のない人間たちだけだったというのも理由だろう。

私は海外に出て、のびのびとしていた。海外にいってまで人に気を使って生きたくはないと思っていた。そして、それは私に予想以上の効果を生んだ。たくさんの友人。だれとでも仲良くなれるコミュニケーション能力。どんな文化でも尊重する国際感覚。あげればきりがない。

ほんの最近まで、私は、日本人というのは世界で恥をさらしているものだとばかり思っていた。どんなところに行ったとしても、日本人どうしで群がり、そこにはそこのボスがいて、その場を仕切っている。何をするにもその人たちと一緒。決して、外部の人間はそこに入れない。和を乱すからだ。まさに、「日本人村」の感覚なのだ。

だが、日本人はそれで本当に「煙たがられている」だろうか。それはイエスであり、ノーである。
このような「日本人村」を作っていることに対しての批判は確かにある。それはその人たちの耳には入らないが、私のような一匹狼の耳には入ってくる。「なんで、あの人たちはいつもああなのか?」と。そういう意味では「煙たがられている」というのはあたっている。

ところが、海外でいろいろな人種や国の人たちをみたとき、「煙たがられる」というのは別の意味だ。不法滞在をする。窃盗を働く。人を殺める。テロを起こす・・・。

そういう目でみてみると、海外で会う日本人はそのような犯罪は犯さないし、人に実害をもたらすわけではない。それはすばらしいことなのではないだろうか。

私はオランダ人の友達2人に、偶然この話をする機会があり、日本人の迷惑度について聞いてみた。彼らの反応はいたって肯定的だった。「世界で、日本人ほどウェルカムされる人種はいないよ。だって、旅行して、そこでカメラで写真とってそこで、お金を使ってくれるわけでしょう? レストランにいったって、イギリス人よりも礼儀ただしいよ」ということだった。

一般化できるかどうかは別として、私の中での日本人の評価は上昇している。海外で必死に勉強していた時代の日本人は、今はもういないのかもしれない。

だが、それでも海外の人たちに迷惑をかけることなく、旅行したり、生活しているという人は多い。そういう人たちこそほめられるべきなのかもしれない。平和ボケしていると言われても、海外で問題を起こさないということは大変すばらしいことだし、尊敬されてしかるべきではないだろうか。私は日本人を見直し始めた。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-06-30 21:16 | 国際

イラク派兵に反対する人に明確な国家政策はあるのか?

日本人の半数以上が、イラク戦争への自衛隊派兵に反対しているという。それはそれでよい。国際法的に違法の可能性が高い、アメリカなどの攻撃・占領は、国際社会では非難されて当然である。そこに、日本が加担しても、良いことは一つもないだろう。

アメリカは国連の安全保障理事会の決議を持って、「正当な行為」だと主張する。国連の安全保障理事会には確かに、平和の破壊に関する決議をする権限を持っている。そして、確かに、イラクが平和を破壊しているという2つの決議があった。そこまでは良い。それからが問題。アメリカは軍事制裁についての決議がないままに、勝手に行動してしまった。だから、違法行為。

イラクは独裁国家だから、攻撃してよい、というようなイラク批判論があるが、世界は独裁国家でいっぱいである。ここが重要。特別に、イラクだけを取り立てて、批判する必要もないだろう。アフリカ、アラブの国ではまだまだ民主主義など程遠い世界がたくさん存在する。アメリカ、ヨーロッパほかの一部で見られる民主主義は本当にめずらしいシステムなのである。

違法行為に加担するものは基本的に違法となる。だから、日本がイラク派兵をしたら、違法行為の共犯や幇助と呼ばれても仕方がない。国が違法行為を犯すという発想は国際法で十分に認められる。自衛隊の個人の行為も、国際違法行為になりうる。だから、日本のイラク派兵は辞めるべきだ。戦後、初の国際法違反を創るのだけはやめてほしい。かく言う私も、日本のイラク派兵には反対している。

では、反対論者の議論は妥当なのか。それはまだ分からない。アメリカ頼りの国際政治を戦後数十年してきた日本に、何が期待できるのか。アメリカの支援を振り切った後、日本が友好関係を築ける国はあるのか。近隣諸国すら納得させられない日本は新しいアジアのパワーとなりきれるのだろうか。それとも、アジアの覇権に失敗した第二次世界大戦と同じ結果になるのだろうか。日本の実力はまだ未証明だ。

国際的なパワーとしてはヨーロッパがある。アメリカ、アジアに対抗するパワー。戦後処理を徹底して行ない、経済力をつけたドイツ。そして、ヨーロッパの誇りを持つフランス。孤高のイギリスがまだまだアメリカよりの国際政治をしてきているが、もし、ヨーロッパが一つにまとまったら、政治的、経済的にもかなり強くなる。

潜在的にはイスラム諸国を忘れてはいけない。世界の5分の1を占める人口を持つイスラム教徒が結束したら強い。イスラム諸国の反アメリカ色が強いのは周知の事実だが、それが国際的な動きになるのは、ほぼないだろう。イスラム教徒はお互いに、疑心暗鬼になって協力できない。高度な文化、宗教を持ってしても、国際的なパワーを持つまでには至らない。あるとしても、反乱分子としての個別的な行為で終わってしまうだろう。

ヨーロッパ、イスラム諸国がまだまだ未発達の場合、アメリカ主導から抜け出せない日本はどうなるのだろうか。イラク派兵に反対する人たちは、その点をどう考えているのだろうか。ただ、反対するだけでよかった戦後50年は終わりを告げたと言える。これからは、名実ともに一流国の仲間入りをしなければならない。経済大国であるのと、一流国であるのとは別の問題である。その日本が、孤立するのなら、それなりの政策を打って出るべきだ。国際的な意識がなく、孤立する日本を作り出し、一番困るのは日本ではないか。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-06-27 17:35 | 国際

友情について・・・夢や情熱を共有できる友!

先日、親友の誕生パーティーがあった。彼の友人がたくさん呼ばれた。私も招待されたのだが、どうも場所やその内容に乗り気がしない。集団で行動するのがいやなのは、日本でも外国でも同じである。そう思った私は、その誘いを断った。

彼は言った。「コージ、だったら、二人だけで俺の誕生会をしよう」それを聞き、私は、「もちろんだ」と返事をし、二人だけで誕生会をすることになった。私は二人だけのパーティーを開催した。おかげで、実りある話をすることができ、とても有意義な時間を過ごすことが出来た。

楽しいことはみんなで一緒という人がいる。それはそれでよい。だが、私はせっかく友人と一緒にいるのだから、魂の触れ合う会話がしたいと思うのだ。集団でみんなで会っているうちは、実りある会話はできないだろう。

 いつも一緒にいることが友情だという人がいる。そう思う人はそれでよい。友情などどういうものか決まっているわけではないだろう。

だが、私にいわせれば時間やお金でしかつなぎとめておくことのできないものは友情でもなんでもない、と思う。友情とはもっと質のある、切っても切れないものだろう。

 「命」という映画の原作者である柳美里女史は友情について次のように言っている。

「私は友人というのは空間や時間を共有する事よりも、想いをどれくらい共有しているかということだと思います」

 いつもぺたぺたと一緒にいて、互いに何も学ぶものがない。そんな人たちどうしが一緒にいて楽しいのだろうか。充実しているのだろうか。私は少なくとも、もっと刺激のある人間関係が好きだ。

 私はそれほど友人が多いほうではない。それどころか、かなり少ないのではないか、と自分でも思う。では、それで困ったことがあるかといえば、別にない。大切なのは、自分の夢や情熱をどれだけ肌で感じてくれる人間(魂)と出会うかだと思う。

 友人の数を自慢するのもいいけれど、もっと密度の濃い、人間関係もいいのではないだろうか。時間やお金で強引につなぎとめなくても、つながっているものはつながっているのだ。時間やお金がなから維持できない人間関係などはないほうがいいのではないだろうか。 

 昔、私のインド人の親友にこういわれたことがある。「浩司、本当に信頼できて、電話一本で理由も聞かず頼みごとができる人間がどれだけいる?」
 私はこう答えた。「3人ぐらいだろうね。君はどうだい?」
 彼は答えた。「僕も3~4人だよ」
 私はこう付け加えた。「だけどね、これは何人いればいいっていうことじゃないんだよ。一生のうちで1人見つかればいいじゃないか。僕はそう思うよ」
 彼は最後にこう言った。「浩司、この機会だから言っておく。今後なにか俺にできることがあったら、遠慮なく言ってくれ。朝だろうが、夜だろうが、関係ないぞ。電話一本。俺はなんでもするから」

 友情が魂の問題であるならば国籍や年齢など関係がない。私はそれを身にしみて感じている。同じ国籍だから友人になれるかというとそうではない。どんなに肌の色が違っても、自分の夢や情熱を共有できる人間たち。少なくとも私には、彼らはかけがえのない連中であり、会えば時間を忘れて語ることができる。まさに人生の醍醐味だ。 
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-06-26 17:24 | 人生

ジョークが使えない日本人

日本人というのはジョークが苦手である。だじゃれを言う人はいるかもしれないが、知性に富んだ発言で皆を大笑いさせるというのはないだろう。日本人のコメディアンも、下品なお笑いに徹しているのがほとんどで、有名人でも言葉だけで巧みに笑わせる人というのは、ほとんどいないだろう。テレビを見ている視聴者がこういうレベルのものを求めているということでもあるだろう。

先日、とある国の大使に聞いてみると、「日本人で面白い人はいるわけがない」と言っていたそうである。難しい試験に突破して、外交官になったとしても、海外では評価はほとんどないのであるから、これでは日本の外交がうまくいくわけはない。

ヨルダン人の親友に、「じゃあ、どこの国の人が面白いんだい?」と聞いたら、「エジプト人が最高だよ。ジョークを言う前にすでに笑ってしまうのだから」という答えだった。

私は日本人が、なぜジョークが言えないのかを説明した。「日本人の伝統的な宗教では、言霊(ことたま)という発想があって、意味しないことは発言してはいけないんだよ」と言った。友人もそれを面白がって聞いていて、納得したようである。

逆に、「ジョークを言う人たちの背景に何があるんだい?」と聞いてみたら、「ジョークを言う人っていうのは現実の生活や社会に納得していないっていうことさ。だから、ジョークを発して、笑い飛ばすしかないんだよ。現実は死や不幸がゴロゴロしているからね。日本人は幸せなんだよ」ということだった。

まさに納得する答えが返ってきた。ジョークを言う、言わない、というだけではなく、意外に深い社会的背景があることが分かった。

近年、様々な問題を抱える日本においても、いずれはジョークを言わざるを得ない時代がやってくるのではないだろうか。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-06-25 16:53 | 議論

自分のフィールドを知ることの大切さ

最近、自分の分際を考えるようになった。「自分の分際」というのは自分の身の程ということで、簡単にいえば自分のフィールドということだろう。

たとえば、私であれば学者、それがフィールドである。そこを離れて、政治家になったりすることはできないし、やったとしても失敗する。私が商売をしても、やはり失敗する。学者が頼りにするのは、自分の理論とか自分が信じる価値観のみ。それ以外の世俗の物事に左右されるのは学者とは言わない。

そのあたりのことは、昭和の学者・小林秀雄あたりを読むとよくわかる。彼はどこまでも学者だった。「本居宣長」の本を書くのに10年の歳月をかけたりしていたのであるから、まさに筋金入りの学者といえる。本の内容も徹底して自分の感覚を大切にして書こうとしている。ビジネスマンと化しているともいえる今の学者たちは、彼の力量の何分の1でも持っているのだろうか。

皆さんは、K-1というスポーツをご存知だろうか。元、極真空手だった石井和義氏が正道会館をつくって、そのあと起こしたキック・ボクシングの名称だ。氏の功績によって、打撃系格闘技はふたたび知名度をあげた。ところが、彼は今、脱税や所得隠しで、起訴されている。これも自分の分際をわすれてしまった例なのではないだろうか。

 保守新党・国会議員の松浪健四郎氏なども同じだろう。作家をして教授をしていればいいのに、場違いなところにでてしまったがためにみんなの嫉妬をかったり、秘書給与肩代わり疑惑で、みんなに攻められている。

ここで断っておきたいが、彼らに「能力がない」ということではない。むしろ、彼らは能力があまるほどあるのである。さまざまな分野で活躍できるのだから、多才なのだ。それまでずっとその分野でやっていた人間と肩を並べるぐらいのことができるのだ。 

では、問題はなにか。新しい分野に入っていったときに、それまでの経験を過信してしまうことだろう。脇があまくなってしまうということだろう。

本当に多分野で活躍している方は、そこをわきまえている。自分が新しい分野に入るとき、初心に帰る。自分は素人なのだ、ということを何度も自分に言い聞かせ、新しい分野に挑戦する。今まで、成功したということは、新しい分野で成功するという保証をするものではない、ということを知っているのだ。

そういう意味で、他分野にうつっても輝きを失わず成功したといえるのは誰だろうか。アメリカでいえば、レーガン元大統領だろう。元俳優ではあったが、完全に大統領としての職務を全うしたといえる。

日本でいえば石原慎太郎あたりだろう。作家から出発して政治家として勝負している。「作家だから」ということで誰も批判はしないだろう。

別な分野から俳優になって成功した例もある。ガッツ石松氏、赤井英和氏などがそうだろう。二人とも元ボクサーだが、その経歴を利用した役柄などはほとんどない。彼らは自分を初心に戻して勝負しているのだと私は思う。彼らは、日本映画界になくてはならない存在だ。

私は不器用な人間である。1つのことしかできまい。他にやったとしてもうまくいかない。そうであればとことんこの学者というやつにこだわりたい。自分の分際をわきまえて勝負したいと思うのだ。そのかわり、徹底して自分の信じる価値や原理原則を大切にして、研究生活を送りたい。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-06-24 17:00 | 人生

孤高の精神を持とう!

故大藪春彦は「日本人にはone-man armyの精神が欠けている」と言った。ひたすら孤高の立場で、正統ハードボイルドを書き続けた作家の言葉として傾聴に値する。one-man armyというのは一人だけの軍隊、つまり、誰がなんと言っても、一人で果敢に立ち向かっていく態度を言ったものだろう。

日本人は集団を好み、集団で行動する。だが、ひとたび個人になるともろい。意見は言えないし、行動も周囲の反応を見てからする。だから、それが怖くて、集団に埋没するわけだ。

私もそうだった。会社で働いていた時は、上司の顔を見て意見を言っていたものだ。そういう意味で、他の日本人と何の大差もないだろう。

だが、ある時、ふと気付いた。自分がダメになっていくのを。「あなたはどう考えますか?」と言われ、まず、周りの顔色を伺う自分に吐き気がした。それで、私は会社を退社した。その後、後悔したことは一度もない。

考えてみよう。第二次世界大戦における日本人は、まさに、そうだったのではないか。戦争に行く人を賞賛し、それを否定する人を、集団は「非国民」と呼んだ。今は、過去の戦争を正当に分析しようとすれば、「軍国主義者」と呼ばれる。同じものをみて、「非国民」や「軍国主義者」と似たようなレッテルを貼り付ける。日本人は集団に流されるという意味で何も変わっていないのではないだろうか。

One-man army の精神。それはつらい。誰も後押しなどしてくれない。正義というのは孤独で苦しいものだという感覚は古代ギリシャのソクラテスが命を賭して証明したものだ。正しいことを証明するために、民衆の裁判を受け、自ら毒杯を飲んだ。彼のほうが正しいということを歴史は証明してくれたわけだ。正義は孤独で苦しいものである・・・我々も、それを意識するべき、時期に来ているのではないだろうか。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-06-23 07:23 | 人生

自分の実力をつくり、人脈を広げよう!

われわれが、日本語で「コネ」というとどうも何かうさんくさいもののような感じをうける。能力も何もないのに、知り合いがあなたに仕事を与える。あなたは本当は合格してもいないのに、大学を合格させる。あなたの会社に特別な高待遇をしてもらう・・・そんなことが日本でいう「コネ」なのだろう。

 私には人脈がある。それは、世界中にたくさん散らばっている。しかも、彼らは、その国で重要な場所についたりしている人たちだ。

 だが、日本でいう「コネ」と違う点は何か。それは私のほかでは通用しないということだ。そういう意味ではかなり西洋的だ。西洋的とはどういうことかというと、私と彼らの間でしか通用しない。きわめて個人主義的なものだ。

 しかも、それは一生ついてまわるものではない。私の力が落ちた時点で彼らは消えてしまうだろう。こちらから連絡を絶ってしまったら、なくなってしまうだろう。一度なくなったら戻ることはほとんどない、きわめてもろいものなのだ。

 西洋的な人脈というのは、かなり明確に限定されている。それはどういうことかというと、保証される内容が限定されるということだ。

 たとえば、「この人を紹介します」というとき、「何をどれだけ」保証するかを明示しなければならない。それを保証した時点であなたの保証力が問われるのだ。

 あなたが誰かを保証する。その人のどんな能力がどれだけあるか、それを明確にする。それが西洋でいう人脈なのだ。一言ですべてを保証する「コネ」とは違うのだ。 

 欧米では推薦状という制度がある。就職や大学の入学には2~3通の推薦状が必要とされ、それは選考の際の半分ぐらいを占める重要なものだ。なぜかというと、推薦状が、その人の能力を保証するからなのだ。推薦状を書いて、サインをする。そこに書かれたことの保証という意味があるのだ。

 だから、あなたの保証力がおちた時点で、それは消えてしまうのだ。あなたの実力が落ちた時点で効果がなくなってしまうのだ。

 私は思う。人脈は実力の証明だ、と。だれかが「あなたのためだから」という理由だけで何かの犠牲をはらってくれる。あなたのためになら、なんでもする。そういう人間がこの世の中にたった一人でもいたとしたら、それはとても幸せなことではないのだろうか。たとえそれが限定されたものとしても。それはあなたの力そのものではないか。そういう人脈はできるだけあったほうがいいのではないか。

 あなたが無理をせずに何かの関門を突破できるのであれば、それに甘えてもいいのではないか。あなたは自分の努力をもっと崇高なものに消費することができるのではないか。それはあなたの実力でもあると思うのだ。 

 私は出会った人間をできるだけ私の人脈にしたいと思う。それは日本的な「コネ」とは違うものだ。なぜなら、それは永遠なものではない。そして、こちらも実力が必要なのだ。

 そのためには積極的に行動して、「この人間は面白い」と思われなければならない。「この人間は話を聞いてためになる」と思われなければならない。相手の知らない独自の考えでものごとを見なければならない。

人脈はあなたの力を知るバロメーターだ。ぜひとも実力をつけて、人脈をもっと広げてみたい。 
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-06-20 16:49 | 人生

日本の援助とアフリカ諸国の態度

2003年、夏、オランダ。何人かのアフリカ諸国の学生と話をする機会があった。エチオピア、ナイジェリア、南アフリカから来た優秀な学生たちだ。

 アフリカ諸国から来た学生と出会って話をするととても面白い。まず、彼らの専門は国際投資などが中心となる。私などは「アフリカと言えば人権だろう」などと思っていたが、とんでもない。そのような人は未だ会ったことがない。実際に現地で暮らす人には少しでも生活レベルがあがることのほうが抽象的な概念よりも大切なのだ。そこにアフリカ諸国の抱える問題の本当の深刻さがある。

 今、海外で日本人に出会うとその専門はさまざまだ。政治から文学、法律、経済、その分野は固定されていない。だが、未だ、第三世界からやってくる人間たちにとっては経済や投資の問題はまさに身近で大切な問題なのだ。

 さて、問題をもどそう。私はアフリカ諸国の人間たちと出会って話をしたが、日本に対しての彼らの意見はいたって肯定的だった。ODAなどで「自国の企業ばかりを使っている」などと批判ばかりされているのだと思っていたが、実際のアフリカ諸国の人間はそうは思っていないの人も多いのかもしれない。

 とこで、この前、ガーナから来た学生と話をした。彼は海外からの国際投資は一切自分の国のためになっていない、と豪語していた。横にいた中国の留学生も先進国は途上国を援助すべきだと大きく演説をしていた。

 だが、私にはどうもそれは納得する議論ではなかった。なぜか。それはすべて途上国から見た援助論であるからだ。

 われわれは途上国を援助するとき、途上国の目になって考える必要がある。お金だけを渡すだけでは何の意味もないようだ。実際には病院を建てるとか、公共施設を建てるとか、そういう目に見えてためになることのほうがいいようだ。

 だから、援助する場合、現地の人の声をじっくりと聞く必要があるわけだ。どういった問題があって、どういうことをしてほしいのか、そういうもろもろの問題だ。

 だが、その一方で、途上国は先進国を途上国の目で裁くことはしてはいけないと思う。私が出会ったある人は、残念ながら、途上国は途上国の目でしか先進国を見ていないようだ。統計だけで比べた国際投資論は意味がないのではないか。

 アメリカはアメリカで、日本は日本で、未だかつてないほどの問題を抱えている。経済の停滞。高齢化の問題。犯罪の増加の問題。それらは、先進国の目でなければわからない。

 先進国の運命は誰も助けてもらえないことだ。日本は過去10年間経済不況を経験してきたが、実際にどこかの国が援助をしてきただろうか。もし、日本に大きな地震が起きて、多大の被害が出たら、他国は助けてくれるだろうか。先進国には先進国の論理があるし、それはそうと主張してもよいと思う。少なくとも、援助される側にはそれを知る義務はあるだろう。

私が出会ったガーナの学生は「先進国はお金を捨てている」と言っていたが、そうであればそれをそれらの国に伝える義務は彼らにあるだろう。「自分のお金ではないから」というような態度で、平気でそれを皆の前で公言しているところにその問題の深さを見たし、ある意味での侮蔑も感じた。

先進国が他国のために援助をするというのはとてつもなく巨大なプロジェクトだ。援助される側には、それそうおうの態度が要求されると思う。どの国がどれだけの犠牲を払って援助をしているのか、そのぐらいは理解されてしかるべきであろう。

 よく「あの国は自分のためにしか援助をしていない」というのであればそのような援助は即刻やめたほうがよい。何のためにもなっていないからだ。

 逆にいえば、どうせ援助するのならば、結果を出したい。どれだけの問題が解決されるのかわからないが、そこまで考えての援助だと思う。先進国、途上国。互いの行き違いの考え方に、投資の問題の難しさを実感した。 
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-06-19 18:09 | 国際

工藤浩司裁判所に召喚される!

先日、イギリスの裁判所から召喚状が届いた。といっても、驚くことはない。イギリス国民としての税金を払っていないというもの。日本人の私には関係ないものだ。

 私が新しいアパートに引っ越してから催促状が来ていたが、ほうっておいたら額がどんどんふくれあがり、10万円ほどになってしまったのだ。

 召喚状が来る1週間ほど前に、市役所に行き、外国人だということを証明して、税金を支払う義務を免除された。

 ところが、1週間後のそのとき、また、裁判所から召喚状が届いたのである。私は驚きをとおりこして、あきれてしまった。しっかりとした手続きをしたのに、この始末。

 ここではこのようなことが日常茶飯事だ。しかも、あなたが行動しないと損をするのはあなたということになる。人は主張するわけだ。

 イギリスに初めて来たときは2日に1度は誰かをどなりつけていた。あまりにもずさんなことが多かったからだ。

 結局、今回は市役所にまた通う羽目になりながらも、しっかりと説明し、難を逃れた。
 私は考える。召喚状をほうっておいたら、大変なことになっていたのだろう、と。
 ここでは行動して、発言するのは当然なのだ。それを改めて自覚した出来事だった。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-06-18 17:10 | 議論

中国人への観光ビザ発給~小泉首相の誤った決断!

2004年小泉首相は、中国から日本への観光ビザの発給基準を大幅緩和する方針を固めて、関係省庁に調整を指示した。2005年、それに続き、北京など3市5省の中国人団体観光客へのビザ発給を全土に拡大するということを発表した。同時に、愛知万博期間中に限った韓国、台湾観光客へのビザ免除についても、検討に入ったという。

目的は、観光立国日本である。ひいては、アジア関係改善のためという見方もあるという。

そのような決断は日本にとっては無駄であるし、弊害にしかならないのではないだろうか。現状、日本における外国人犯罪の4割を占めるのが中国である。しかも、殺人、強盗などの重大犯罪が大きい。その上、そのような情報は中国ではほとんど知られていない。その中国人が、日本を『お金もちの国』と夢みて、やってくるわけである。彼らが、規制を緩和されて入国してくる。犯罪の温床になる可能性は大きいのではないだろうか。なぜならば、彼らがそのまま無事に帰るという保証はないからである。現に、昨年から観光で入ってきているはずの中国人がどんどん行方不明になっている。違法滞在をしていることの証左である。

すべての中国人がそうであるということを言っているわけではない。現状、そうではない人が大方なのだろう。だが、一部の無法者の行為によって、全体は損害を受ける。それはどこの国の人間だとて同じである。

たった一人の日本人が悪いことを海外でしたとすれば、「だから日本人はおかしな民族だ」という見方をされる。それは海外にいる人間が心しておかねばならない鉄則である。

もし、小泉首相の決断が、日中関係の緩和であるとすれば、それもまた無意味だといわざるを得ない。なぜなら、中国では日本における中国人の犯罪状況など知らないからである。そのような情報操作がされている中で、日中関係の改善ができるはずはないだろう。

「小泉首相は中国のことを考えて、ビザの発給を以前よりするようになりました。なんとすばらしい首相でしょう」などと中国の新聞が宣伝してくれるのだろうか。

これらはすべて外交の場で、首相なり、外務大臣なりが発言すべきことなのだ。それをせずに、政策で改善しようとしても、あちらに届くわけがない。我々は声高くこのような間違った政策に反対すべきだ。

我々は、このような間違った決断に、反対すべきだ。一方で、不法入国を数年で半減させるというスローガンを掲げながら、他方で、このような決断をしているのはまったく矛盾していると言わざるを得ない。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2005-06-15 05:54 | 国際