工藤浩司オピニオン 公式ブログ


世界を飛び回る日本人   工藤浩司のオピニオン  
by kudo_koji_blog
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリ
《プロフィール&連絡先》
《連絡・相談・質問》

dgdfk247 @ ybb.ne.jp まで。

≪PROFILE≫
工藤 浩司 (くどう こうじ)
1971年青森県十和田市生まれ。

<応援ホームページ>
トータル・ケア・カウンセリング
http://stresscare.exblog.jp/
フォロー中のブログ
検索
ライフログ
以前の記事
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

カテゴリ:スポーツと武道( 8 )


武道で達人には小柄な人が多いのはなぜか

武道では達人とされる人の中には小柄な人が非常に多い。合気道の塩田剛三も、154センチほどであったし、柔道家の木村政彦も、170センチそこそこだと言われる。

空手でも、小柄で強い人はたくさんいる。私が極真空手を見る限り、小柄な人のほうが、技をきれいに身につけることが多い。緑健児館長も、165センチ足らずで、しかも、技はスピードもあり、美しい。

大柄な人で、強く技がきれいな人がいないこともないが、珍しい部類に入るだろう。なぜなら、大きい人はそこまでいかなくても、勝ててしまうからだ。

小さい人はそのままでは勝てないので工夫する。悪戦苦闘する。ありとあらゆる方策を試してみる。だから、結果的に、周り道はするかもしれないが、強くなる。

ロシアのボリショイバレエの中に一人だけ日本人がいるのをご存知だろうか。岩田守弘さん。170センチぐらいの小柄な方が、ステージで演じていて、世界的に有名だそうだ。40歳ぐらいの方で、確か、今年引退するらしい。

彼のインタビューを聞いたことがあるが、「背が高かったらここまでやってなかっただろう」って言っていた。たぶん、意味するところは、恵まれないからこそ、くいしばって挑戦するっていいうことだろう。

もしかしたら、ほかの分野でも同じなのではないかと思う。勉強や仕事、趣味、家庭、スポーツなど。

大変なことがあって、山はほかよりも高くなる。でも、その人にはその人なりの景色がある。他の人にとっては小さな山に見えても、苦労することはある。それは、スポーツに限らず同じかもしれない。

皆さんは、自分より努力や経験をしないで、よりよい地位にいる人を目にしたことはないだろうか。通常はうらやましいという感情が出てくるのだと思う。それは自然な感情だから、否定はしない。

しかし、こう考えることはできないだろうか。つらい思いをして、登りきった山のほうが、得るものは大きい。自分のためになっている。

少なくとも、人助けなどをするときは、苦労したタイプのほうが、相手のこともわかるし、アドバイスにも価値がある。

今日のテーマの答えにはなっていないが、どんなに大変な思いをして登った山も、その風景は本人にしかわからない。だから、やはり自分の境遇に不満をいうよりも、登っていくほうがその人の人生にはプラスなのだと思う。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2012-03-31 00:36 | スポーツと武道

白鵬が連勝ストップは必然である

今日、白鵬の連勝記録が63でストップした。皆にとっては驚きの事実かもしれないが、私には、あまり驚きではなかった。

なぜかというと、周りがプレッシャーをかけすぎてしまい、本人が、それに呑まれてしまったことにある。

今場所前のインタビューで「今場所の目標は何ですか?」と聞かれて、「数字です」という答え方をしていた。そのとき、私は今場所で記録はストップすることだろうと感じた。

勝負は勝とうと思ったら、勝てなくなる。焦りすぎだ。一戦一戦、真剣に取り組むことが重要で、「勝とう」と思ったときに、隙ができる。相手も必死だからだ。

勝てないなどと思っても、勝てなくなる。自分を萎縮させてしまい、本来の実力が出なくなるからだ。

本来であれば「一つ一つ全力を尽くす」という気持ちがベストであるはずが、勝負を意識しすぎて、隙が出たのではないだろうか。

持ち上げるマスコミにも罪はある。期待ばかりかけて、横綱の気持ちなど何も考えていない。

だが、横綱であれば、マスコミの報道など一喜一憂することなく、淡々と目の前の一番に集中してほしいものだ。連勝記録はあくまで結果論でいい。

横綱は直前まで双葉山の動画をしきりにみていたという。後の先と呼ばれる相手に先行させて反応する戦い方をみていたが、その本質は伝わっていただろうか。身体も心もニュートラル(中間)でなければ予測不可能な相手の攻撃に対して反応などできやしない。双葉山の動きだけでなく、精神も学ぶべきだ。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2010-11-15 20:26 | スポーツと武道

4スタンス理論とスポーツ

最近、はまっているもので、4スタンス理論というものがある。これは、治療家の廣戸 聡一氏がとなえているからだの重心に関する理論で、すべての人の重心は

A1(足の前部の内側)=クロスタイプ
A2(足の前部の外側)=パラレルタイプ
B1(足の後部の内側)=パラレルタイプ
B2(足の後部の外側=クロスタイプ

のいずれかにわけられるというものである。

実は理論としては知っていたのだが、妻に自分をチェックしてもらって驚いた。私はB2タイプだった。

B2タイプは足の後部の外側つまり、かかとの外側でバランスをとるタイプで、別名、クロスタイプと呼ばれ、右の股関節と左の肩、左の股関節と右の肩が連動していることでも、知られる。

これがわかると、たとえば、空手などで拳頭(人差し指と中指のつけ根)を使うのが、私は、苦手なことがわかった。考えてみると、10年以上の空手をやっているのに、握り方がしっくりこないとずっと思っていた。自分の神経は中指と薬指側にあるようだ。少林寺やジークンドーなどで提唱している握り方に近い。

私の苦手なのは後ろ回し蹴りなのだが、これがわかると、納得がいく。B2タイプはクロスタイプなので、上半身と下半身がXの形で、バランスをとるので、私のようなタイプやA1タイプの方は、うまく後ろ回し蹴りを蹴ることができない(蹴ることは可能だが、上半身と下半身の回転にずれが生じるという意味)

また、B2タイプの特徴は、格闘技でいえば、構えたときに、足首、後ろ足の股関節、首の付け根が一直線になる。空手でいえば、後屈立ちのような立ち方にも似ている。

これがわかると、自分が棒立ちになってしまったり、相手の攻撃をうけてしまって、反撃できないときなどは、自分の本来の立ち方ではなく、前足のほうに重心が移動してしまったりするときに起こっているようだ。

また、私のようなB2タイプは、蹴りを放ったときに、身体が沈みこむ特性がある。これは、B2タイプは、身体を左右に動かしたときに、肋骨が、まっすぐに回転することからくるものだ。ちなみに、Aタイプは肋骨が上昇しながら、パンチを打つことになるそうだ。

これらの理論は「身体の設計図」というべきもので、私が見る限り、例外はないようだ。多かれ少なかれ、どこかに当てはまる。これが、わかれば、今まで、いくら努力してもできなかったことが、努力のせいではなくて、身体に合わないせいだったということがわかる。

必見の理論なので、スポーツをされている人はぜひ見てほしい。格闘技をされている人は格闘技版の本もあるので、みてほしい。空手家の方は黒澤裕樹師範が、空手革命4スタンス理論というDVDを出しているので、ぜひ、みてほしい。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2009-06-21 17:34 | スポーツと武道

井上康生選手に思う・・・こだわりの弱みと強み


2008年4月29日に開かれた全日本柔道選手権で、井上康生選手が準々決勝で一本負けを喫した。国際大会でオリンピックの代表に漏れ、最後の望みを託しての勝負だったが、井上選手の望みはかなわなかった。

井上選手はすでに大会前から、引退を決めていたという。この大会に勝っても、北京オリンピックの後に引退すると。

29歳。確かに、現役選手としては回復力、スタミナなど、衰えを感ぜずにはいられない年齢でもあろう。だが、そのあたり、もう少し決断するのを延ばしてもよかったのではないかと思う。

井上選手の早期に引退を決断した原因は、「こだわり」にあったように思う。「勝たなければならない」「一本勝ちせねばならない」「得意の内股で技を決めたい」・・・このようないわば理想主義は、力が出るというよい点もあるが、逆に、融通がきかないという大きな欠点もある。今回の井上選手の決断は融通がきかないという点に大きな原因があったように思う。

世間には二つのタイプのプロフェッショナルがいる。結果だけにこだわり、それが達成されなければいさぎよくその場を去るタイプ。もう一方は、結果にこだわらずプロセスを重視するタイプである。

前者は今回の井上選手である。鬼気迫る緊張感とプレッシャーに耐えながら、常に理想の状態を求めるタイプだ。そこには妥協を許さないものだけがもつ美しさがある。

後者はボクシングの辰吉丈一郎選手や今回、復帰したテニスの伊達君子選手があげられる。二人はいずれも、一般的には年齢的な「峠」を越えた選手かもしれないが、やり続けることに価値があり、そこに楽しさすら見出している感があり、応援せざるを得ない。そこには何よりも本人がそのスポーツを愛しているという暖かさがある。

井上選手には、勝っても負けても応援されるような柔道家であってほしい。一本勝ちを徹底的に目指す柔道は見ていてあれほど気持ちのよいものはない。ここで、理想の柔道家になれずに引退するよりも、自分がやりたい心の声にしたがってみてはどうだろうか。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2008-04-30 11:50 | スポーツと武道

工藤浩司銃撃される!?

先日、レスターの家の近くを歩いていたら、銃撃された。とは言っても、本物の銃ではなく、水鉄砲でのものなので実害はほとんどない。

信号待ちをしていて、顔に水がかかったなと思ったら、目の前に白人の人たちの車が止まり、私をめがけて、水鉄砲で撃っていて、そのまま、奇声を発しつつ、車で逃げられた。

追いかける暇もなく、私は水だらけになってしまった。もし車が止まっていたら、車に何人いたとしても、私は、追いかけて引きずり出して復讐したのだろうが、その時間もなく、車は走って行った。

こんなことはイギリスでは驚くことではないのだが、そこで自分で感じたことを書きたい。

私は思った。これが本物だったら、死んでいたな、と。しかも、実際に打たれて水がかかるまで、気がつかなかった。武道家としては死んだも同然なので、失格だと感じている。少なくとも、予測ぐらいはできたのではないか、と思う。安全な場所だったので、気が緩んでいたとも言えるが、それはいいわけにはならないだろう。

忙しさにかまけて、最近はウエイトトレーニングだけになっていたので、夏が来たら、また格闘技を学びその感覚を養いたい。格闘技をやれば、そういった感覚が養われるというのは希望にしかすぎないのだが、真剣に打ち込めば何かがつかめるのではないか、と感じているし、やらないよりはやったほうより感覚がつかめるだろう。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2007-05-18 18:06 | スポーツと武道

薬に頼らない身体を目指すことの大切さ

私の妻は頭痛もちである。キプロスにいた頃は1週間に2~3度は頭痛薬が必要だった。薬を飲むことをよしとしていない私は、あまりよく思ってはいなかったが、かといって、痛がる姿を見ているとどうにもできず半ば見過ごしていた。

2粒必要なところを1錠飲んだりして、刺激を抑えようとしていたが、なかなかうまくいかない。一粒でも少ないと効果は半減してしまうらしい。

言われたとおりの量を飲んで効果はあるのかというと、実はある。かなり痛みは緩和される。とは言っても、頭痛が治るということではなく、身体の神経からのメッセージが緩和されるだけなので、頭痛が治っているのとは違う。

頭痛薬のほとんどは歯痛や生理痛などにも効果がある。痛みの神経を麻痺させるのだ。だから、本来のあるべき頭痛薬とは違う。

痛みというのは身体のメッセージなので、そこの原因を解決せず、痛みを無視し続けることはよくない。メッセージは身体の声だ。聞いてやらねばならない。

頭というのは脳の中に神経があるわけではないから、痛いとは感じないという。つまり、痛いと感じる場合は脳の外、つまり、骨と皮膚の間の血流が悪い場合が多い。逆に言えば、ここをうまくマッサージしたりすれば、流れをよくすることもできるし、逆に、頭痛がひどいときは一瞬冷やして流れを抑えることで、痛みが和らいでいく。

腰痛も「痛み⇒痺れ⇒麻痺」という段階を通して、悪化していくのだが、痛みがなくなり、身体が硬直し始めた場合は治療するのに時間がかかる。

妻は、頭痛などで必要な場合は葛根湯で足りるようになった。葛根湯はショウガなどを材料につくった漢方薬なのだが、頭痛にも効果はある。もちろん市販の頭痛薬のほうが効果はあるのかもしれないが、刺激の弱いほうが身体にはよい。少しでも刺激の弱い製品を探して、葛根湯に行き当たった。

私も風邪薬を飲むときはいつも決まった分量よりも少なくしている。3錠と書いていたら、2錠飲む。2錠と書いていたら、1錠にする。漢方薬があるのであれば、そちらで対応してみる。そうやって身体を敏感にしておく。

常日ごろから、身体の血の流れをよくする食べ物を食べておくようにしたい。にんにくやショウガがその代表格だ。ひとかけらでいいので、毎日食べると肩こりや頭痛が緩和されてくるだろう。そして、自分で頭皮のマッサージをすることを心がけておきたい。そのようにしても、頭痛があるような場合は漢方薬で対処してみたい。身体を敏感にしておくことは、身体のメッセージをいち早く聞き、対処するためには大切なことである。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2006-11-20 17:47 | スポーツと武道

日本の武道家に見る弟子と師匠の関係

先日、とある著名な武道家が模範演技をしているところのビデオを見た。模範演技なのか、真剣な試合なのかはわかりかねるが、その時、ふと感じたことを話してみたい。

そのビデオの様子はこうだ。その武道家は、10人以上もの相手が次々となだれかかってくるのを一瞬で倒していく。相手はすべて黒帯。面白いように倒されていく。それを見た観客はもちろん拍手喝采だ。なぜならば、この武道家は70代の老人だったからだ。

観客はこう考える。「私も衰えてもああなりたい」と。それはそれで、まったく悪いことではないのだが、問題は「強い」と言われている人が、その人だけのような気がして、いかにも何か納得しない。

簡単に倒されていくのが黒帯であれば、その人たちは強くないことになる。彼らが倒されれば倒されるほど、その武道家の強さは証明されるのかもしれないが、それにつれて、組織としての実力の証明は失敗したことになる。

武道とか、いわゆる道がつく競技では弟子というのは強さでその組織や師匠の力を証明する。弟子が強くなる。それが一番の義務になる。師匠に取り入ったり、師匠の言うことを「ハイハイ」と聞いているだけでは弟子とは呼べない。

だから、まっとうな武道では、いちいちその組織の長が力の証明をしなくてもいいことになる。逆に、その長が力の証明をしなければもたないような組織は、体系だった稽古も実力もともなっていないことになる。

空手でも「~人がけ」といい、著名な武道家が弟子を相手に模範演技を見せることがあるが、あれは「稽古をしているので、まだこのように身体を動かすことができる」という意味以上のものではないだろう。演舞と呼ばれるものも同様だろう。

人間年をとれば体力も、柔軟性も落ちていく。稽古を一瞬でもさぼればその感覚もうすれていく。そういう現実を真正面から受け止めていくのは何も恥ずべきことではない。

私も知力・体力ともに自分の感覚や力が落ちていく時があるのだろう。いや、少なくとも、体力に限っては20代の自分とは比べ物にならないぐらい、落ちた気がする。

そんな時、そういう現実を真正面から受けて止めて、それでも歩いていける人生でありたいし、その現実を目の当たりにして、落胆しない人間たちが回りにいるような関係を作りたい。無理して現実ばなれをした虚構を作り出すような人生は歩みたくはない。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2006-09-05 07:38 | スポーツと武道

ボクシングはスポーツなのか?・・・亀田興毅戦を考える


先日、WBA世界ライトフライ級のボクシングのタイトルマッチがあった。話題の新鋭・亀田興毅とベネズエラのチャンピオン・ランダエタの一線は全体的にはランダエタの優勢だったにもかかわらず亀田に旗があがった。多くの日本人ファンが疑問をもち、数万人の人たちがクレームをテレビ局などに寄せているようだ。

まず、この試合そのものについて、判定基準が明確にされなければならない。この方式はラウンドごとに優劣をつけていくマストシステムというもの。通常のボクシングの試合とは違う。全体的な流れで優勢であっても、ラウンドごとの優劣で負ける場合がありうる。

では、この試合はどうだったのか? マストシステムでも、ランダエタにあがるという見方も多い。私は最後のラウンドだけみたのだが、最後のラウンドは明らかにランダエタにあった。

もし、この試合が、極端なホームタウンデシジョン(地元による不公正な判定)によるものであれば、日本のボクシングの地位が陥落した瞬間だとも言える。「日本でやると負けるから」などという評判は公正さを売り物にするスポーツ振興国の名を貶すものだ。

仮に、この試合結果が妥当だったとしても、問題は多い。ランダエタ側は判定結果に対して、正式に抗議すべきだ。本人はその意図がないらしいが、そうであれば、「僕のほうが勝っている」などという発言は控えたほうがいいだろう。

そもそもボクシングはスポーツなのか。ここも議論されていいと思う。プロモーター側がすべてを仕切るボクシングの興業は常に、その意図に沿うようにお膳立てされていく。少なくともそういう傾向は否定できないだろう。

タイにはムエタイというキックボクシングがあるのだが、あれはスポーツではない。タイ人の人もスポーツではないというぐらいだ。選手同士を戦わせ、観客はお金をかけ、それをみて楽しむ。選手も、賭けを成立させるために、最初からダウンを狙うことはない。日本でいうと、競輪・競馬というような感覚だ。

ボクシングがスポーツであれば公正さは保障されなければならないだろう。WBA側は正式にこの判定についての判断をくださなければならないだろう。

ボクシングを武道というのであれば、戦うものたちの礼節や態度までが問題にされなければならない。

ボクシングがプロレスのようなエンターテイメントであるのなら、今回の試合はさして議論するに当たらないのかもしれない。視聴者がこの一戦に興味をもち、苦情や非難をしている点で、エンターテイメントの意義はあったとも言えるからだ。
[PR]

by kudo_koji_blog | 2006-08-05 20:50 | スポーツと武道