工藤浩司オピニオン 公式ブログ


世界を飛び回る日本人   工藤浩司のオピニオン  
by kudo_koji_blog
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工藤 浩司 (くどう こうじ)
1971年青森県十和田市生まれ。

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2歳の子供に体罰をする人たち

私と妻の子育ても、山あり谷ありではあるが、2年が過ぎた。

自分の感想は「ああ、もうそんなに経ったのか?」という気持ちだ。

最初の数ヶ月は「もう少し寝たい」「明日は少しは長く寝てくれるかな」などと考えながらの毎日だった。少しでも長く寝てくれると、こちらも眠ることができる。でも、2~3時間ごとに起きてしまう、子供はそうはいかない。

結局、子供が長く寝るようになったのは、断乳してからだった。子供が1歳のとき、妻が、病気になり点滴をしなければならなくなり、授乳は無理になった。1年で断乳するのは少し早い気もしたが、いずれは断乳しなければならないのだから、それを期に断乳した。息子は3日間がんばった。それから、よく眠るようになった。

今、気がつくと、身体は以前より休めるようになったが、他の部分で手がかかるようになった。

2歳の子供は「魔の2歳」と呼ばれ、手がかかる。というか、手がつけられなくなるときがある。

これは自我の芽生えなのだが、自分の目の前で、他の人に迷惑がかかるようになるので、なかなか見過ごすわけにもいかなくなる。かといって、言い聞かせようにも言葉はあまり通じない。

2歳ぐらいの育児についての意見を見ると、軽い体罰をする人が多いのに驚いた。子供をコントロール(支配)したい親からすれば、手っ取り早い方法なのだろう。

しかし、自分が親になって考えてみると、体罰したところで、その行為をやめるかもしれないが、それは分別をわきまえているのではなくて、ただ単に、親を恐れているだけである。しかも、相手を叩いてもいいというような感覚を親から受け継ぐことになる。

親の役目は恐れられることだろうか。子供にとっては親は唯一の安心する相手だ。体罰をするのは短期的には効果はでるかもしれないが、長期的には問題が出るかもしれない。
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# by kudo_koji_blog | 2012-12-03 22:16 | 社会

英検1級ぐらいの実力について

以前、上司の名前で勝手に英語のメールをどんどん送っている人に会ったことがある。

どういうことかというと、その人は日本人なのだが、上司である(欧米人)の名前で、勝手にメールを送信してしまっていた。その上司からは、二度と送信しないようにと注意されたらしい。

このケースで、問題は二つ。

1、上司の許可なしで、そのメールを送ったこと。

これは別に欧米人に限らず、了解もないのに、このようなことをするのはルール違反だ。事前に許可をもらっているのであればよいが、そうでなければ送る前に確認するのが、当然だ。

2、その内容で、メールを送ると、送信者の知性が疑われる。

ここは気をつけなければならないが、その上司が恐れたのはこちらの点もあるだろう。

気をつけてその人を見てみると、英検1級の保持者だった。

英検1級。現在、日本であれば英語の資格のもっとも高いもののひとつだろう。だから、その人は自分が優れているものだと誤解してしまった。そこが問題だった。客観性がなくなっていたのだろう。

ここ数年、気づいたのだが、TOEIC900点とか、英検1級ぐらいのレベルは非常に微妙だ。そのレベルの人は自分の実力の客観性がない。ある種の自信が芽生えている時期なのだ。それもそうだ、国内最高のランクにいると位置づけられているのだから。

ふと、気がつくと、私もそうだったような気がする。自分の書いたものが恥ずかしくなかった時期があった。話すと書くとにかかわらず、ガンガンとコミュニケーションをしていた気がする。その時期は必要だ。

だが、私は、今は、とても恥ずかしいと思うことがある。1年前のものが読めない。「ああ書けばよかった」「なんで、こんな表現を使わないんだ」「この人はうまい表現を使うなあ。今の自分にはできないな」といった具合だ。ある種の客観性が生まれてくる。

山はまだまだ高い。自信も結構。だけど、精進することは怠ってはならないということだと思う。私も早くもっと別の景色を見たいと思っている毎日だ。
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# by kudo_koji_blog | 2012-12-02 01:11 | 英語

武道で達人には小柄な人が多いのはなぜか

武道では達人とされる人の中には小柄な人が非常に多い。合気道の塩田剛三も、154センチほどであったし、柔道家の木村政彦も、170センチそこそこだと言われる。

空手でも、小柄で強い人はたくさんいる。私が極真空手を見る限り、小柄な人のほうが、技をきれいに身につけることが多い。緑健児館長も、165センチ足らずで、しかも、技はスピードもあり、美しい。

大柄な人で、強く技がきれいな人がいないこともないが、珍しい部類に入るだろう。なぜなら、大きい人はそこまでいかなくても、勝ててしまうからだ。

小さい人はそのままでは勝てないので工夫する。悪戦苦闘する。ありとあらゆる方策を試してみる。だから、結果的に、周り道はするかもしれないが、強くなる。

ロシアのボリショイバレエの中に一人だけ日本人がいるのをご存知だろうか。岩田守弘さん。170センチぐらいの小柄な方が、ステージで演じていて、世界的に有名だそうだ。40歳ぐらいの方で、確か、今年引退するらしい。

彼のインタビューを聞いたことがあるが、「背が高かったらここまでやってなかっただろう」って言っていた。たぶん、意味するところは、恵まれないからこそ、くいしばって挑戦するっていいうことだろう。

もしかしたら、ほかの分野でも同じなのではないかと思う。勉強や仕事、趣味、家庭、スポーツなど。

大変なことがあって、山はほかよりも高くなる。でも、その人にはその人なりの景色がある。他の人にとっては小さな山に見えても、苦労することはある。それは、スポーツに限らず同じかもしれない。

皆さんは、自分より努力や経験をしないで、よりよい地位にいる人を目にしたことはないだろうか。通常はうらやましいという感情が出てくるのだと思う。それは自然な感情だから、否定はしない。

しかし、こう考えることはできないだろうか。つらい思いをして、登りきった山のほうが、得るものは大きい。自分のためになっている。

少なくとも、人助けなどをするときは、苦労したタイプのほうが、相手のこともわかるし、アドバイスにも価値がある。

今日のテーマの答えにはなっていないが、どんなに大変な思いをして登った山も、その風景は本人にしかわからない。だから、やはり自分の境遇に不満をいうよりも、登っていくほうがその人の人生にはプラスなのだと思う。
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# by kudo_koji_blog | 2012-03-31 00:36 | スポーツと武道

動物と私

私を子供のときから知っている人は別として、20代以降に私に出会った人は、私がいろいろな生き物が好きだということを知らない。

実は昔から生き物は好きで、小さいころから動物や昆虫などの図鑑を開いては外でとってきた虫やテレビで見た動物を見比べていた。当時私が何度も開いた図鑑は数冊残っているが、表紙など取れてしまって、ボロボロである。

だから、キプロスで小さな黒い虫をみつけたときは一瞬でコメツキバッタの種類だなということもわかったし、そこで変わったセミをみつけたときは本当に驚いた。

私自身は犬猫は飼ったことはないが、思いつくだけでも、ウサギ、うずら、ニワトリ、インコ、スズメ、ハツカネズミ、金魚、フナ、トゲウオ、亀、ザリガニ、熱帯魚などを飼ったものである。もちろん、カブトムシやクワガタムシに始まる昆虫もよく飼った。

情操教育として、動植物を飼うことを皆薦めるが、実際は小動物でさえ最後まで面倒を見るのは大変なことだ。気軽には始められない。そういう意味で、大変さや楽しさを知る意味では、いいことなのかもしれない。

今、私の家には熱帯魚がいる。ネオンテトラ、カーディナルテトラ、コリドラスの3種類。お気に入りはドジョウのような顔をしたコリドラス。2匹いるのだが、1年半ほど生きている。

熱帯魚。これもけっこう手間がかかる。毎日餌をやらなければならないし、週に一度は水を少し入れ替える。温度の変化も怖い。本当に怖いのは冬より夏だ。温度をあげるのはヒーターひとつでいいが、下げるのは難しい。

何が楽しいのかと言われそうだが、熱帯魚は観るものの心を和ませる力をもっていると思う。しかも、水槽だからにおいもしないし、静かだ。かといって、犬猫のように感情が移らない。金魚も好きでよく飼ったが、今の私の家では狭くて飼えないだろう。

先日、1歳と3ヶ月になる息子に、私が持っていた恐竜の図鑑を与えてみた。最初のうちは、本の大きさや重さに興味を持っていただけだが、中身も見るようになって、最近は毎日開いているようだ。

先日、私の両親が上京したのだが、そのときに購入してもらった動物の図鑑は息子のお気に入りになっている。

今日、キリンの写真を見ていた息子に、「キリンだね」と言ったら、息子は壁を指差した。私は息子はまたわけのわからないことを言っていると思ったら、壁にはキリンの絵が掛けられていた。こんな小さな子供もだんだんと人だけでなく、動物を認識してきていることにかなり驚いた。

私は生来の動物好きが生かせる職業にもついていないし、何かプラスになったのかどうかはわからない。今は熱帯魚しかいないのだから、過去の経験もそれほど活かすことはないのかもしれない。

ひとつよかったと思えるのは、生き物の世話をしてきて、興味のある人の世話をすることが苦にならないということだ。私が得たものは隠れた財産かもしれない。
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# by kudo_koji_blog | 2012-02-04 23:26 | 生物

年始のご挨拶と近況

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

昨年は公私ともにいろいろな出来事があった年だった。3月11日の震災。引越し。息子の保育園入園。

私は年末年始は必ず行き去る年の反省と、向かう年の目標を整理している。

去年の12月に自分を振り返って、気付いたが、どうも去年は自分の目標の成果がかんばしくないように感じた。その前の年の自分と比べたら、どうも分が悪い。一瞬、自分が恥ずかしいような気にもなったが、それは間違っているのだと思う。

物事が達成できないのは、自分が怠惰だったというのが一番の理由だが、育児や家庭の仕事をやることによって、自分の時間が影響を受けた理由もある。子供のことなどコントロール不能なのだ。コントロールしてはいけないし、できないのだ。それによって、自分の生活のコントロールもしにくかったのは否めない。

いろいろ考えて、私は自分をトータルで判断することにした。つまり、育児や家庭のことをがんばったりしている自分も評価するということだ。何も、自分の目標は仕事や勉強だけとは限らない。家庭のことだって、目標になったっていい。言い訳にせず、それをそのまま認めるという理解の仕方だ。

また、これは自分の今までの方法を変えていくべきだということなのかもしれない。私は、実は机では勉強しない主義だ。電車、待ち時間、休み時間、移動時間、など、外で済ましてしまう。この方法も、今後は変更していかざるを得ないと感じている。

具体的な目標はここでは発表しないでおきたい。それは自分で決めて、自分で判断することだからだ。大切なのは自分でどう思うかだ。

今年からは、自分の目標の中に、家庭のことが入ることになった。まずは、小さいことから、目標にしてみたい。
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# by kudo_koji_blog | 2012-01-04 23:02 | 最新ニュース

最近の育児の様子

息子が先日10ヶ月になった。時間が流れるのは、とても早い気がする。生まれてから、バタバタと育児、病気、保育園などたくさんの経験をした。親も大変だが、本人はもっと大変だろう。

10ヶ月になると、なんと周りの人間がどういうタイプの人間かわかっているようだ。9ヶ月ぐらいはそうでもなかったのだが、このところ、保育園につれていって、部屋を出ようとすると泣くようになった。「さびしさ」というのも認識しはじめた。「父親の認識」もあるといわれるが、確かに、私がいるとにっこりしている。子供の成長は早いものだ。

また、食べたい、食べたくない、遊んでほしい、など意思表示をするようになった。しかも、無理なときに限ってそういうお願いをしてくる。

私も妻も、できるだけのことはするが無理はしないようにしている。100点など取れなくてもいい。それぐらいでちょうど肩の力が抜けてちょうどいい。

息子は、半年をすぎて離乳食が始まってから、とても病気がちになった。ひどいときは1週間で2度もカゼを引いたりしている。そのたびに、免疫がついて、強くなっていくものだと言い聞かせてみているが、小さな身体で、ゼイゼイ言っているのもみると、とてもかわいそうだと思う。

ここ2~3週間、少し、調子がいい。偶然なのか。それとも、離乳食が始まってしばらく経ち、免疫がついてきたのか。よくわからないが、少しほっとしている。
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# by kudo_koji_blog | 2011-08-27 00:00 | 家庭

野生熊と遭遇

先日、ひさしぶりに青森に帰省した。9ヶ月になる息子をつれて、初めての帰省。片道4時間の新幹線は私にも息子にも長く感じられた。

さて、実は今回、岩手の安比高原のあたりをドライブ中に、生まれて初めて、野生の熊を見た。とはいっても、車越しで、道路の脇の田畑にいるのを見たのだから、数十メートルは離れていたかと思う。

最初は犬かと思った。黒っぽい動物が走っていたからだ。どうも遊んでいるような感じだった。

大きさはシェパードを一回り大きくしたようなぐらい。犬にしては、顔が長細かった。ジャンプ力と走り方が犬のものではなかった。両手をそろえて飛ぶように走っていた。犬の走り方ではない。妻が、「熊だ」というまで、熊という認識ができなかった。

胸のあたりが白っぽかったので、ツキノワグマの子供だったのではないかと思う。見えなかったが、親熊が近くに潜んでいた可能性は高い。

車をとめてそのまま熊の様子を伺って、そのままドライブを続けた。

よく「熊に注意」などという看板を見るが、本当に出会うとは思わなかった。

ツキノワグマは日本の熊にしては割と小さいほうだ。1.5メートル強。体重は100数十キロ。ただ、人を襲う獰猛さで有名だ。首元に名前の由来となる「月の輪」があるので、割と見分けやすい。

実際に、熊と遭遇したらどうするだろうか、などと考えながら、その日を過ごした。

参考までに、調べたところによると、①死んだふりは効果がない、②逃げると追ってくる、③音を出してもあまり逃げない、④火は怖がらない、⑤一度攻撃した場所に何度も戻ってくる、などの特徴があるという。

熊ハンターのアドバイスがあるので、それを伝えたい。熊は、長い間、にらみつけるといい、という。これがいちばん効果があると。果たして普通の人にこれができるだろうか。

気後れせずに、前向きに対処するという意味では、何事も同じかもしれない。
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# by kudo_koji_blog | 2011-08-10 21:17 | 生物

キプロスと生き物たち

ひさしぶりにキプロスネタでお伝えしたい。

私は小さいころから、動物や昆虫が大好きだった。暇さえあれば、図鑑をみていた。おかげで、動物や昆虫などはとてもよく知っているほうだと思う。

小さいころの図鑑は背表紙がとれてボロボロになっていたのを記憶している。今、考えると、写真ではなく絵が描いてあるだけの図鑑なのだが、子供の私にとっては想像を絶する世界で、いつか、アマゾン川のあたりに行ってみたい、と夢を描いた。それはいつになるかわからないが、いつか、本当に行ってみたい場所である。

ところで、北キプロス。実はあまり動物はいない。砂漠のような気候で、雨が少ないからだと思う。

羊はいるが、それは食用。犬はいるかもしれないが、誰かが飼っているだけ。野良犬はみかけない。猫は少々みかけたが、やはり少ない。

キプロスで珍しいと思ったのはケッタンケラと呼ばれるトカゲ。なんと家の中にもよくやってくる。私自身は10センチぐらいの小さいやつはかわいいと思っているのだが、女性は違うようだ。

ただ、妻はわりと平然としていた。たぶん家の中にも何度か来たと思うが、すぐに隠れてしまった。意外に探しもせず普通に生活をしていた。

このキプロスのトカゲは大きいやつで25センチほどになる。とても動きが早い。ギルネの城にも大きいのがたくさんいて驚いた。動きがやはいが、見た目が恐竜のチラノサウルスのようでとても楽しい。

昆虫はあまりみかけないのだが、ハエは非常に多かった。食事のときにハエがブンブン飛んでくるので、それがいやな人はキプロスでは住めないだろう。

昆虫でめずらしいと思ったのはセミ。種類はわからないが、セミがいた。私は日本でしかセミは見たことがないので、とても驚いた。

最後に、コメツキバッタを見たので報告したい。よく小さいころみたので間違いないが、捕まえてひっくりかえしたら、やはり、飛んで元通りになった。とても愉快な昆虫だった。
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# by kudo_koji_blog | 2011-08-01 21:39 | 北キプロス紀行

男の育児

子供はもうすぐ9ヶ月になる。早いようで遅い。風のように時間がすぎた気がする。

昔は男は育児を手伝うものだという感覚だったが、実際にやってみると、これまた大変。おむつ換え、お風呂、抱っこ、離乳食など数え切れない。

だから、「手伝おう」という感覚は捨てた。「手伝おう」と思うと、余計つらくなる。

また、つらさだけでなく、楽しさもまたたくさん発見した。

「あれっ、今日はどうも首のすわりがいい」とか「昨日と少し顔が変わったな」というような感覚が、妻と一致したりするととても愉快で楽しい。

一方で、男はどんなにがんばっても子供を生むことはできないし、ミルクを出すこともできない。仕事で時間が限定されている人もいると思う。そういう現実を踏まえて、家族で話し合って育児のやり方を決めていくのが最善なのではないか、と思う。

今までまったく違うカテゴリだが、育児も私の生活の一部になった。今後もそれを時々文章化したいと思う。
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# by kudo_koji_blog | 2011-07-21 19:50 | 家庭

いつ挑戦するか?

ひさしぶりに博士号取得のテーマをお伝えしたい。

日本の一部の世界のように博士号の取得がいつになるかわからないような特殊な世界は別として、通常、欧米などで博士号を挑戦する場合には3年~5年ぐらいかかると言われる。

私もキプロスで講師をした期間も含めて、5年かかっている。それを省けば、4年。長いとは思わない。短かったとも思わない。たぶんかけた時間からすれば短いほうなのかもしれない。

早い人は3年ぐらいで終了する人もいる。それは人それぞれだが、とてもうまく準備し、計画立てて、書いた結果なのだろう。

そういう事情から、ある程度まとまった期間が必要だというのはわかっていただけると思う。

欧米ではpart-timeでの博士号も可能だ。そういう場合は5年以上はかかるだろう。

私はfull-timeでしか経験したことはないが、part-timeは仕事を言い訳や逃げ場にしてしまい、結局はかかった時間の分の結果がついてこないことが多い。かなり経験のある人向けなのだと思う。

さて、いつ挑戦するかという話題に戻ろう。

博士号をとるかどうかは、個人の生き方の問題なのでとることがいいことかどうかはわからない。ただ、取るのであれば、気力のあるうちに挑戦しておいても悪くはないと思う。

そういう意味では、何事も同じかもしれない。準備、準備といって、いつまでも挑戦しないのはどうだろうか。できるときに挑戦してみるのも悪くはないと私は思う。
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# by kudo_koji_blog | 2011-07-21 19:30 | 博士号(PhD)取得への道